日記画像スズメ

2021年12月←2022年1月

1月16日

津波警報と終末映画

トンガがどこにあるか、そこからなのだが、地球は丸いし繋がっている。何が起こっても影響はある。昨日の夜のライン飲みで「終末映画」について話題になった。アメリカ映画は災難を受け入れる個々の内面を描きつつ、半分は派手な反撃(落ちてくる彗星を核爆弾で破壊しようとしたり)に費やす内容が多い。主人公周辺は生き残ることも多い。しかし最近はそうでもない。街を荒らし人を殺し死ぬ恐怖に抗うことよりも、自分や自分の周囲と向き合う内容が増えてきた。友達に勧められた「ドント・ルック・アップ」のようにすべきことは最後までやってみるが、いよいよとなれば自分の周囲に目を向ける。20代の頃に読んだ「ひとめあなたに」という新井素子の本は、地球滅亡が迫る中で別れた恋人のところに歩いて向かう、という内容だった。途中、様々な人と出会い衝撃を受けたりもするが、さいごは並んで海を眺める(たぶん)という静かな結末だったと思う。作中の自分語りが好きじゃなくて我慢して読んだ覚えがあるが、終末を迎えて日常をどう生きるか、ということでは新鮮だったと思う。上品に生きられるか。そこが大事なのだ。地球が滅亡するとわかった途端、自分の突飛な行動が治まり妙に落ち着きを取り戻す「メランコリア」や隣人を支えることに自分の時間を使い、その人が大切な人になる「エンド・オブ・ザ・ワールド」など、抵抗せずに受け容れるという個々の行動に焦点を当てているように思う。こういう終末映画は増えていくと思う。何が起こり、何に巻き込まれるかさっぱりわからない世の中だからだ。生き残った方が地獄だ。そこからのサバイバルは上品では済まないであろう。

外に出なかった

14日は在宅勤務にしたので丸3日、外に出なかった。外では色々起こっていても、こうして平穏に過ごせていることに感謝だ。今日は浜田省吾がBGM。高校の頃、一時的にはまった。「愛という名のもとに」「ラストショー」「散歩道」が好きだ。

みかん泥棒

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ヒヨドリ。

ひそひそ話

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スズメ。

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つぼみを食べられないよう網をかけた。

1月15日

ベルばらと黄金の日々

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LINE飲み。大河「黄金の日々」の話。五右衛門役の根津甚八が出てきて「もう大河は家族で見るものではない」と思った話。なぜなら根津甚八に恋してしまったからだ。もう呑気に見ることはできない。恋心を家族に知られてしまうからだ。そして漫画好きな自分たちが共有していなかった「ベルばら」の話。14歳の時、ベルばらの映画のスチール写真が亀戸のエルナード(現アトレ)に展示されることになって、急いで見に行ったが誰も来ていなくて驚いた話。主演女優の名前カトリオーナ・マッコールという難しい名前は今でもすぐに出てくる。亀戸あたりに住んでいる人には「なんだこれ?」だったのかもしれない。しかし今思うと、こういう催事について当時はどうやって情報を得ていたのだろうか。

漫画原作のドラマを安易に作るな、という話にもなった。脚本家に頼れなくなったからなのか(昔は脚本家になるための学校はたくさんあったと思う)、漫画ファンは思っている以上に厳しいと思う。売れている俳優をイメージに合わなくてキャスティングしてしまう。恨みを買うと思うよ。

時間の話にもなった。中学の頃、学校の帰りに友達の家へ行ってピアノを弾いてもらいレコードを聴かせてもらいカセットテープにダビング(この言葉、懐かしい)してもらい、パイオニアのミニコンポに電源を入れてもらうのが楽しみだった。自分が持っていないものをたくさん持っている友達の家で文化的な体験ができて、それを素直に享受できたのだ。この活動だけでも忙しいのに、宿題をやって塾にも行って空き地の坂を段ボールを敷いて滑ったりもしていたのだ。好きな漫画が多すぎた。毎週発売日を忘れてはならない漫画がたくさんあったし、「マイ・バースデー」で毎日の占いもチェックしなくしゃいけなかった。好きな男子や好きな先輩にも注意を向けていたし、部活もあった。親との喧嘩や交渉もあったと思う。それだけの事柄をさばいていたなんて信じられないし不思議な力と時間の進みがあったと思う。そんな話をしながら、当時の感性を思い出せなくなった時に本当の老化が始まるのかなと思った。今回は政治の話はしなかった。感染拡大でもユリッペは同じ話しかしないってことは話したか。 この「ベルばら」と「黄金の日々」というタイトルのセットはゴージャスだな!

葬式

葬儀に参列するために大阪へ向かっている人からラインが入る。感染が増えている大阪(今日、過去最多の感染者になるらしい)へ向かっていることと新幹線に乗るのも気になるらしい。そうだよね。昨年、感染者が多い時は通夜と告別式を一日でやって飲食なし、というのが当たり前だったが、今年に入って皆が油断している間にそういったルールも緩くなっていたと思う。

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おやつは焼き芋。

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スズメがポンポン飛び跳ねている。

1月14日

在宅

昨夜は風が強かったようだ。植木がいくつか倒れていた。この風は夕方まで続いた。年度末が迫る中、このタイミングで監査なども入りそうで困ったな。東京の感染者4051人。全国2万人超え。

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17時半の空模様。

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ソネングラス。

1月13日

朝、介護先へ

荷物を自転車のカゴに放り込んで走る。途中でバスに乗った。このまま自転車で行けばいいわけだが、今朝はきついかなと思ったのだ。本人はすでにデイサービスで不在。荷物を置いて地下鉄で職場へ。隣で上司はオンラインを会議。雑談の声がうるさい。「ねえ、音声下げてよ」と頼んだ。

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帰りのバスの中から。いい天気だ。

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遅めのランチはガパオライス。

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介護先の親戚が亡くなった。86歳男性。肉やカニなど、年に数回送ってくれていた。わかっていないかもしれないが「亡くなったよ」って耳元で伝えてもらった。

1月12日

腹の調子が悪い

うーん、なんでだろうか。在宅の日だったので助かった。

1月11日

三連休明け

病院を通るバスなので、連休明けは患者らしい人でいっぱいだ。今日は昼まで勤務し、午後は在宅に切り替えた。今日は介護先へは行かなかったが、報告を受けた。デイサービスでは全く起きず食事がとれなかったようだ。帰ってきてから看護師が点滴をしたが目が開かない。今日は点滴を2本。さきほど少し目が開いたので日中の栄養不足を解消すべく高カロリー飲料やゼリーを食べさせてみるということだ。明日医者が来るので相談してみる。

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夕方、ポカポカカーペットの上でゴロゴロしながら日差しを浴びていた。

1月10日

商品券とポイント活動

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10時開店と同時に大丸に入る。少し前に到着し八重洲地下街をブラブラ。スタバはすでにお客さんでいっぱい。

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スタバの反対側のゴディバのカフェ。こちらはガラガラ。

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大丸で人に贈る財布とシャツを購入。商品券で支払う。その後、12階のまい泉でミックスフライ。これはポイントで払った。

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大丸から日本橋三越まで歩く。八重洲は再開発が始まっていて空き地だらけ。三越周辺はすでにコレドが出来ているので開発できるところはなさそう。新しい高層ビルがバンバン建っているが高い家賃を払って採算がとれるのだろうか。

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三越前から半蔵門線に乗って介護先へ。住吉で降りて歩く。住吉でドラ焼きを買った。雑誌を見せて生ドラ焼きを一個もらった。

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成人式の会場。

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親戚が来た。花、菓子、甘酒を持ってきてくれた。

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たいていは静かなのだが、夕方はよく喋るので少しうるさい。「ジュンジュン」と鳴いている。

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17時頃の空模様。

1月9日

連休2日目

金曜日から今日まで3日間外に出なかった。こんなふうに家にいられるなんて信じられない。明日は出かける。

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いくらでも家にいられるのが不思議だ。

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何をするでもなく特に考え事もなく静かに過ごした。

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17時過ぎの空模様。

1月8日

腹の調子が悪かった

昨日の夜から腹の調子が悪くトイレを何度も往復。トイレに入るたびに寒くて長居できず落ち着かなかった。トイレに小さめのヒーターを置こうと思う。

一日遅れて七草がゆ。こういうお腹に優しいものはたまに食べたい。腹痛明けにちょうどいい。夜は「メンタリスト」をビールを飲みながら鑑賞。21時に布団に入った。

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このキンギョソウはずっと咲いている。

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スズメの羽があちこちにある。抜け毛の季節なのかな。

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外に出ない一日だった。

UWF

プロレス団体UWFについての動画をずっと見ていた。あの頃、何があったのか。昔は活字でしか判断できなかったが、今はレスラー本人がYouTubeで語るので肉付けがスムーズで面白い。

1月7日

夢を見た

お金配りオジサン前澤が出てきた。彼の会社関係の人間という扱いだった。自分の友達と彼の経営するレストランに行く予定でありつつも、演劇鑑賞もしなければならず、時間のやりくりに焦っていたところへスタッフがやってきて劇場から出してくれた。しかしそこは崖の上で、オジサンが開発した何かすごいものによって難なく降りることができた。昨日は22時頃に寝たように思う。ここ数日の不眠と昨日の二日酔いの分は解消できたかもしれない。質は悪くても。

沖縄の感染者は1400人を超えたらしい。

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鳥の水が凍っていた。

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シャーベット。

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無傷だと思っていたミカンはヒヨドリに食べられていた。

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寒さで丸まっている二羽。

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草の陰で風を避けている。

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こちらも風を避けている。

1月6日

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朝はゆっくり出勤。まだ雪は降っていない。

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同僚が寄って少しお喋り。今年から一緒に仕事をする。昼頃に降ってきた。

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上司は大阪出張。静かに仕事。14時に出て介護先へ向かう。

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介護先近くの貨物の線路内。

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止む気配なし。

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花も寒そう。

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バス停までゆっくり歩く。バスも遅れていたようで1本前のバスに乗った。降りてからも慎重に歩いた。今よりも明日の朝の方が怖い。なので明日は家にいることにした。骨折の恐怖が蘇る。

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いつもと違う景色だ。到着してほっとした。こんな日にも自転車に乗っている人がいて驚く。

倍々で増えているコロナ感染者。重症化しないなどと言われているが、感染して1、2週間休むデメリットは大きい。それにどのような後遺症があるのかわからない。なんとなく調子が悪いという状態は精神面にくると思う。

1月5日

日比谷

今日は家から介護先へ。タクシーを使った。リハビリスタッフが来ていてベッドの端に腰掛けさせていた。この状態で体勢を維持できればいいのにと思う。しかし支えがなければじっと座っていられない。意味はある。色々な姿勢をやってみないと体は硬くなるばかりだから。急いでオムツを替える。今日は会合があるので16時半に出る。地下鉄に飛び乗って日比谷へ。

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人は少ない。コロナ感染者が増えているせいだろうか。

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寿司屋。古い店員と色々話す。テーブルには透明の仕切りがあって話しにくいけど安心だ。

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久しぶりのビリヤード。誰もいなかった。今日は調子が良く連勝。

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ビールのグレードが下がっていたがバドワイザーは好きな薄味。短いスカートの制服を着たどういう要員なのかよくわからない店員がいたが(昔だと、タバコを売りにくるキャンペーンガールみたいな子)、いなくなっていた。いまは安定感のあるごくふつうの店員だ。厳しい時代がやってきたことをビールと娘で知る。20時に解散。

1月4日

神田明神

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恒例になりつつある初出勤日の神田明神詣。東の空が美しい。朝6時。

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線路から眺める東の空。

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薄紫。

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御茶ノ水の聖橋から駅のホームを見る。

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聖橋の真ん中あたり。

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昨年より少ない気がする。

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マスク着用を呼びかける看板。

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古いお札を返してお参り。

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ポニー?カワイイ。でも、なんで?

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フルーツゼリーのようになっていた。

職場に着いて軽く体操。出勤していない人も多いので焦らず静かに仕事が出来た。帰ってからまったりしていた。眠いけど眠れる気がしない。

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赤紫の豆の花。

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白い豆の花。東京の感染者151人。沖縄225人。

1月3日

ほとんど寝ていない

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昨晩は9時過ぎに布団に入ったものの、あれこれ考え始め1時まで起きていた。目を閉じても眠れる気はしないが起き上がって何かをする気分でもない。考え事の内容はくだらないことや面白いこと、しんどいことをわざわざ思いついて物語にしたり。一体何をしているのだろうか。たぶん3時頃に寝たのだと思う。7時まで寝たり起きたり。午後、また布団に入ってみた。少し眠れた。

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定位置のヒヨドリ。つがいの気の強い方。

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ミカンとスズメ。

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17時の空模様。

1月2日

まだのんびり

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昨日のことはもうどうでもいい。天気が良いだけで十分だ。今日は夕方自転車で介護先へ行って御飯を食べる。昔は自分の時間だけが大切で何とかそれを確保しようとしていたが、今はそこまでではない。そういえば初夢について、毎年それなりに意識していたと思うが今年はすっかり忘れていた。こうやって年々雑になっていくのだろう。

1月1日

元旦

今日はシェアサイクルのポートには自転車がたくさんあった。ほとんどがフル充電。こんな寒い日に自転車を借りる人は少ないだろう。実家へ持って行く荷物を自転車のカゴに乗せてまずは介護先へ。お雑煮を食べ、コーヒーを飲んでのんびりしていたら、介護から降りた親戚がやってきた。正月の挨拶がてら顔を見にきたということだ。気まずい雰囲気が流れたが、自分は第三者として中立の振る舞いを心掛けた。特に問題なく帰ったが、そのあとすぐに電話をしてきて、これまでの不満を話し出した。なのでここに来いと言った。玄関先で30分ほど3人で会話。一方的に激昂していたが想定内だったし、相手の言い分にも理解できるところもあり、同意したりなだめたりしながらも、内心(お前も相当ポンコツだけどな)と突っ込んでいた。こういう対応ができるくらいには自分も大人になった。介護の障壁になるほどの問題ではないが面倒ではある。皆もっと私を大切にした方がいいと思う。こんな雰囲気の中で実家へ帰るのも気が重い。帰ったらいるはずの妹と母親が買物に行っていた。母親もなんとなく機嫌が悪かったが、そんなのにつきあっていられない。もつ鍋を食べながらビールを飲み、些細な話で笑ったりしているうちに全体の雰囲気が良くなってきた。母親にお年玉をもらった。3万円。妹は母親にお年玉をあげている。全体的に良い年始ではなかったが、それは全部他人によりもたらされたものなので、自分のせいではない。自分が全員を支える必要はないのだ。夜は自由に過ごし、自分を取り戻して機嫌よくやろう。

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