プロレストップ

プロレス彼是

プロレス

page16 (451-580)/全体の目次
451 スー女?
452 千両役者逝く
453 最古のタイトル奪取
454 プロレス屋を起用(あるメディアの表現)
455 女子プロ旋風?
456 限りなく真剣勝負に近い
457 素質は充分なのに
458 さそり座固めで合格点
459 宴もたけなわ
460 ハマのスナック
461 懐かしき俗悪番組
462 咄嗟の四字熟語
463 二刀流はつらいよ
464 昏倒
465 他人の事情
466 大阪、オハイオ、沖縄
467 前売り券も当日券もネットで
468 リカルド君のこと(面識はないが)
469 タイガーマスクとの違いは初代のみであること?
470 昼下がりの動物園
471 グレートゼブラに騙されてはいけない(?)
472 元祖ペイント・レスラー
473 弱小団体を支えた功労者たち
474 高すぎる誇り
475 謎めかすことのねらい
476 納涼、ミイラ男参上!
477 略称はIジャ
478 酒に関する逸話
479 中身はお見通し
480 見て見ぬフリというわけにはいかないか

(480) 見て見ぬフリというわけにはいかないか

センター試験後の苦情に「試験監督の靴下が臭くて集中できなかった」とあったらしい
その昔、新日本プロレスにおいてミスター高橋が、全日本プロレスにおいてはジョー樋口がしばしば見て見ぬフリをしていた。試合前のボディーチェックには何の意味があったのか。悪役レスラーは頃合を見計らって、おもむろに凶器を取り出す。ハルク・ホーガンがアブドーラ・ザ・ブッチャーの凶器攻撃に苦しみ、流血する間、ミスター高橋は止めもしなかったことがあった。それでいて日本人側にはやけに厳しいことがあった。谷津義章のデビュー戦にて、ハンセン、ブッチャーの攻撃に苦しむパートナーの助けに入ろうとする猪木を、ミスター高橋は制止していた。

日本人レスラーに対してばかりではない。谷津デビュー戦から数ヵ月後の新日本プロレス十周年興行での「スタン・ハンセン VS アンドレ・ザ・ジャイアント」戦においては、リング下でマネージャーから受け取ったサポーターを腕に巻いたアンドレに厳しく接していた。凶器の有無を確認しようと執拗に迫り、怒ったアンドレからラリアートを喰らっていた。ハンセンにもアンドレにも屈辱的とならない結果にするための演出だったということだが。山本小鉄は徹底して厳しかったようだ。新日本と大日本の対抗戦では、何かと反則攻撃を試みる大日本勢を取り締まっていた。マサ斎藤とグレート小鹿の対戦などでは、レフェリーが手を出しすぎとの声もあったようだ。 とにもかくにも何事も起こらずに試験は終了した。己がジョー樋口、ミスター高橋、山本小鉄のうち、誰に近いのかということを知ることなしに。

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(479) 中身はお見通し

ザ・コブラとかさ
先日、横浜高島屋の「福岡展」にて梅ヶ枝餅を買おうと最上階まで行ってみたところ、「ウルトラセブン展」が行なわれていたのでそちらに歩を向けた。放送開始から50周年記念ということで、すでに半世紀も経つ。つまり最初に見たときは再放送だったわけだが、ウルトラシリーズの中でも最人気のキャラクターといっても過言ではないかもしれない。その主題歌や『ウルトラ警備隊の曲』はプロ野球選手の応援歌にも流用され、パチンコの機種にも使われた。またプロレス界にも無縁ではない。ウルトラマンを名乗るレスラーは多々存在したが、やはり印象に残るのはメキシコ出身のウルトラマンとウルトラセブンのみ。初期のFMWには帰ってきたウルトラマンおよびアミーゴ・ウルトラ(中身は同一人物である)が登場し、その後ウルトラマンロビン(意外にも初代ブラック・タイガーの正体であるマーク・ロコの弟子にあたる)が団体を起こしたが、存在感はいまひとつといったところ。

ところでかねてから疑問に思っていたのだが、変身ヒーローものにおいて、周囲の人間が最終回まで正体に気づかないというのはどういうことなのか。『ウルトラセブン』におけるキリヤマ隊長や『ウルトラマンA』における竜隊長などはいささかマヌケに思えることさえあった。また『仮面ライダークウガ』における"おやっさん"飾玉三郎(演・きたろう)にいたっては主人公・五大雄介が隠してもいないにもかかわらず、最終回近くまで正体に気がつかなかった。

『タイガーマスク二世』における日の出スポーツデスクもしかり。ある場面では坂口征二と藤波辰巳が、リング上で宇宙プロレス連盟の刺客レスラーの反則技に苦しむ光景に絶えられなくなり、「竜夫(スポーツ新聞記者でタイガーマスクの正体)、タイガーマスクを探してこい!」と無茶な命令。当の亜久竜夫も腰を上げかけたが、「お前が行くと帰ってこないからダメだ」と言って止めてしまった。

実社会では人はそこまでマヌケではない。初代タイガーマスクの正体が佐山サトルであることも二代目タイガーマスクの正体が三沢光晴であることもさほどの時を経ずしてバレていた。むろんザ・コブラも例外ではなかった(あれはバレバレだったな)。

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(478) 酒に関する逸話

マサ斎藤はカルピス好き
先日『日刊ゲンダイ』紙上にて、渕正信の酒に関するインタビュー記事が掲載されていた。酒豪としても知られた山本小鉄とのビール飲み対決で勝ったことがあるそうだ。時は昭和54年。新日本と全日本の仲が悪かった時代。全日本の先輩であったミスター林に呼び出されて実現したマット上ではなく、酒場での"対決"。負けた山本小鉄は口止めしたそうだが、勝者の渕はかまわずに自慢して回ったらしい。御大からは、「小鉄の名誉のために人には話すなよ」と釘を刺されたそうだ。

酒にまつわる話といえば、志村けんとダチョウ倶楽部の上島竜兵が知り合うきっかけをつくったのは芸能関係者ではなく、共通の友人である川田利明だそうだ。ある日志村けんと川田が飲んでいる時、竜兵を呼ぼうということになった。その時点では志村けんと竜兵とは面識がなかったゆえ、電話をかけたのは川田。ところが当の竜兵は怯んでしまったそうだ。「僕にとって志村さんといえば、川田さんにとっての馬場さん、猪木さんと同じくらいの存在だよ。そんな人とは同席できないよ」といった具合。そこで志村けんが電話を取り、「お前来ないのかよ!」と一喝したところ、「すぐに行きます!」と返事したそうだ。『バカ殿様』レギュラー出演に到るまでには、意外ないきさつがあったわけだ。ずいぶん前に『ダウンタウンDX』(日本テレビ系列)で知った逸話である。

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(477) 略称はIジャ

円楽の家で宴会したらしいよ←小鹿注意報より
今朝何の気なしに「じゅん散歩」(テレビ朝日系列)を見ていたら、今週は新宿方面らしく、マスクメロンで著名な「タカノ」にてマスクメロン・パフェを堪能。その後は演芸場のある三丁目へ。本日のメーンイベントは、演芸場楽屋にて六代目円楽と落ち合うことだった。ちなみに円楽師匠がこちらで落語をやることはあまりないようだが、噺家になる第一歩は新宿で踏み出したとのことだ。演芸場近くの喫茶店で先代円楽から面接を受け、かばん持ちのアルバイトから始めたという。ところで演芸場近くに「花ぜん」なる店があったが、かの浅野起州氏(IWAジャパン社長)が経営する定食屋ではないか。実はそうではない。演芸場近くの「花ぜん」は懐石料理の店らしい。浅野氏が経営する、ヤクルトもどきの乳酸菌飲料がおまけでついてくる(らしい)定食屋の屋号は「花膳」。純ちゃんに取材してもらいたいがムリかな。

先に浅野氏の肩書きを"元社長"としなかったことには理由がある。IWAジャパンそのものは活動休止中だが、団体としては存続しているからだ。浅野体制になってからは、社長自らが参戦したり、ゴージャス松野のプロレスデビューのためのお膳立てをしたりしたが、タイガー・ジェット・シン、ディック・スレーター、スティーブ・ウィリアムスのような大物外国人レスラーを招聘していたこともあった。キニョネス体制の時には、中牧昭二が引退をかけて小野という選手と対戦したことがある。たしか試合に敗れた場合には、公園の管理人になるはずだった(小野が中牧のためにあらかじめ再就職先を見つけていた←少なくとも当時の東スポにはそう書かれていた)。今思えばテレビ中継もないインディ団体とはいえ、話題性には事欠かなかった。

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(476) 納涼、ミイラ男参上!

私は「うしろの百太郎」派
"納涼"という言葉があるが、暑い季節には怪談、お化け屋敷、きもだめしがよく似合う。背筋が冷えれば熱帯夜にも耐えられるということか。先日寝苦しさを少しでも解消すべく、つのだじろう作の怪奇漫画『恐怖新聞』のアニメの動画を見た。全巻を通して読んだことはないが、ある程度あらすじを知っているせいか、怖さはいまひとつ。しかし小学生時代にかの漫画を読み、恐怖のあまりにその夜はなかなか寝つけなかったことを今でもよく覚えている。怪奇漫画でありながら、原作者はところどころに仕掛けというべきかユーモアも散りばめていたようだ。当時はまったく気が付かなかったが、『恐怖新聞』の広告欄には「幽霊ホイホイ」なる商品の宣伝が掲げられていたり、ご丁寧にスポーツ欄まであったとか。しかし本来は、翌日誰かが交通事故で亡くなるといったように近未来を予言する新聞。後々冷静に分析すれば突っ込みどころは多いが(ネット上の掲示板には「翌日以降の株価を載せた経済面があったらすばらしい!」というようなコメントもあった。たしかにその通り)、子 どもの頃はやはり怖かった。この原作者の作品群は卓越している。 小生がまだ生まれる前なので、再放送でしかみたことがないが、その昔『恐怖のミイラ』なるちゃちな怪奇ドラマがあった。とはいえ当時は夏季の納涼ドラマという企画でもって、大人の視聴者にもそれなりに恐怖心を与えたということだ。

そういえばかつて日本プロレスにはザ・マミー(トム・クルーズ主演の映画ではない)なる怪奇派レスラーが参戦していたそうだ。身体に巻かれた包帯のスキマから粉塵が噴きあがることで観客に恐怖心を与えていたとか。正体はコロンビア出身のレスラーだったそうだ。時を経てユニオン・プロレスのリングにもザ・マミーなるレスラーが上がったことがある。むろん日プロ時代のザ・マミーとは別人。一度会場で観戦したことがあるが、心ない客が客席から「マミー、マミー」とバカにしたような声援を送っているのを聞き、こちらもいささか空しくなった。ショーマン派を務めるのも楽ではない。

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(475) 謎めかすことのねらい

回答つきの謎
素性が謎に包まれたレスラーは過去から現在に至るまで多々存在したが、果たして謎に包む意図は何なのか。神秘性をもたらすのが目的というよりも、思いのほか実力がないことが判明した場合の逃げ道を設けている可能性はないのか。たとえばFMWの旗揚げ戦において、ビースト・ザ・バーバリアンなる"怪奇派"レスラーが参戦した。放っておくと何をしでかすかわからないこの野獣のような男、普段は鎖でつながれており、女性マネージャーに動きを制御されている。この日は異種格闘技のトーナメントのはずだが、大仁田とのレスラー同士の対決は両者リングアウト。納得がいかずに「もう一回!」と号泣しながら再戦を要求する大仁田。立会人のレッド・バスチェンも折れ、ビースト・ザ・バーバリアンが保持するWWAブラスナックル王座をかけての再戦。バーバリアンにはいいところなく、FMWは旗揚げ戦にして団体初のタイトルを得ることになった。結局大仁田はその後の試合でターザン後藤に敗れ(むろんタイトルはかけられていない)、優勝したのは栗栖正伸であった。も っとも彼の場合、椅子なしの勝利はありえないわけで、「五秒以内なら反則OK」 というプロレスならではのルールを最大限に利用しての優勝ということになる。

ところでバーバリアンが参戦した理由は何だったのか。もしや新団体にタイトルを贈るため?
リング外では紳士そのものだったという、元FMW戦士の証言もあるが。 平成初期、後に世界王者となるクリス・ベノワが覆面レスラー、ペガサス・キッドとして新日本プロレスに参戦した時、某スポーツ紙は次のような記事を載せていた。

「1967年5月 カナダ出身の謎の覆面レスラー。地元カナダではラフファイトに強いレスラーとして鳴らしている。2年前には素顔で新日本プロレスのマットに上がっている」
といった具合。「謎でもなんでもないじゃないか!」と世間で突込みがあったことはいうまでもない。

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(474) 高すぎる誇り

一流のレスラーというのは相手の技に付き合うもの>いい言葉だ!
今朝方奇妙な夢を見た。場所はどこかの体育館。メインイベントは、「ジャイアント馬場 & ウルティモ・ドラゴン VS マスカラス兄弟」という四半世紀以上前でもありえなかったカードだ。ミル・マスカラスが二重に被った覆面の一枚を観客席に投げ込む場面も、ドスカラスが両腕をロープに絡め、回転しながらリングに入る場面もあった。残念ながら試合が始まる前に目が覚めてしまった。

"ドル箱"であったがために気は使っていたが、"御大"ジャイアント馬場がマスカラスを嫌っていたのは有名な話。そもそもシングル戦は実現せず、タッグでも馬場がマスカラスのフライング・ボディアタックに付き合わずにかわしたことがあるそうだ。試合後にマスカラスは控え室で泣いていたとか。先日読んだザ・グレート・カブキの著書にもあったが、一流のレスラーというのは相手の技に付き合うもの。マスカラスは付き合わせても付き合わない。日プロ時代、BI砲がマスカラス、スパイロス・アリオン(ギリシア出身のレスラー。豪州等で活躍した)組と対戦したことがあった。最後は猪木がマスカラスを卍固めに捉え、馬場がアリオンをコブラツイストに捉えた。さすがのマスカラスも根負け。マスカラスが相手のここ一番の大技で敗れるとは珍しいことだが、単に猪木の技をかけるタイミングが良かっただけなのか。かつてUWFを見下すような発言をしたことがあるというが、試合巧者の藤原喜明あたりとの対戦が実現していたら・・・。

NHK「人名探求バラエティー 日本人のおなまえっ!(藤原編)」に出ていました。

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(473) 弱小団体を支えた功労者たち

小鹿が「彼とは良いこと、悪いことたくさん有りすぎる」と言っていた。知りたい
ミスター・ポーゴが医療事故により他界したという訃報を得た後、FMW関連のキーワードでネット検索をしていたところ、1ヵ月以上も前にキックボクシング出身で元FMW戦士の上田勝次が亡くなっていたことがわかった。ネットの情報はとかくあてにならないもの。さまざまなサイトを閲覧し、どうやら誤報ではないと確信できた。「格闘技の祭典」に参戦した縁でそのままFMWのマットに上がるようになったときには、すでに43歳。しかしその肉体は衰えていなかった。FMW参戦についてはいつの間にか決まっていたらしく、事後承諾だったとか。キックボクサーとしては20代の頃に日本および東洋の王座(ウェルター級)に輝いている。

平成2年8月に東京・新橋にて大仁田厚とターザン後藤が初の「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」で対決した興行のセミファイナルにおいて、ミスター・ポーゴと上田勝次はタッグを組んでいる。サンボ浅子と韓国出身のテコンドー選手の二人が組み、対するはミスター・ポーゴ、上田勝次とリッキー・フジだった。まさに「異種格闘技6人タッグマッチ」。思えばミスター・ポーゴはFMW参戦当初から敵役ではなかった。そういえばポーゴとリッキー・フジには共通点がある。どちらも一度は日本マット界で挫折し、海外マット界に活路を求めた。かたや米国マット界、かたやカナダマット界。そしてふたりが挫折を味わったのは、奇しくも同じ新日本プロレスのリングであった。

最後は上田がテコンドー選手に重いパンチを浴びせ、ノックアウト勝ちした。上田はFMWのリングを去った後、本名の上田勉に戻り、総合格闘技の興行にて角田信朗とも対戦している。時に上田は50歳。対する角田は35歳。試合前、「全力でぶつかることが最大の敬意、そして勝つことが格闘家としての大先輩に対する恩返し」と述べた角田。最後は角田のパンチに沈んだが、すばらしい試合だった。 お二方のご冥福を心よりお祈り致します

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(472) 元祖ペイント・レスラー

職場から歩ける距離にカブキの店がある
実は前回の稿を書くにあたって戸惑いがあった。世間の評判はともあれ、いやしくもプロレス界の貢献者、文字通りの"御大"批判である。しかし賽は投げられた。ここまできたら、ということでかつて沈みかけていた全日本プロレスを立ち直らせた功労者、ザ・グレート・カブキの著書『東洋の神秘 ザ・グレート・カブキ自伝』を読んでみた。面白かった。著者が日本プロレスに入門してから海外遠征を経て全日本プロレスに入団する過程。息苦しい日本を離れるための再渡米。さらに再々渡米し"ペイント・レスラー" ザ・グレート・カブキになるまでの経緯。寝食忘れてというと大げさになるが、一気に読んでしまった。人間の好き嫌いは少なくないようだが、何よりも正直に心情を吐露しているところが面白い。サンダー杉山、グレート草津などははっきりと嫌いと書かれてしまっているではないか。そして御大・ジャイアント馬場に対してはどうか。さすがに露骨に「嫌い」とは書いていない。むしろ猪木、大木よりも好きだと書いている。そしてレスラーとしての巧さ、実力についても認めている。それでいながらも御大の人間性を疑っていたことは間違いなさそうだ。

ライバル団体・新日本プロレスに食われていた80年代初めに、ザ・グレート・カブキとして米国マット海から颯爽と逆上陸して巻き起こった「カブキ・フィーバー」。シリーズそのものも大成功だったわけだが、その終盤戦、御大が著者に投げかけたのはねぎらいの言葉などではなく、「金の話」。あまりギャラを上げてやれない、ということだったらしい。その後もすっかり嫌気が差し、新団体のSWSへ移籍しようとする著者の前に札束を積んだりと、あまり全日本プロレスにいい思い出がないとしても無理はない。いやなことを知ってしまったというよりも、むしろ知ったことで胸の内が晴れたのは気のせいではないと感じている。

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(471) グレートゼブラに騙されてはいけない(?)

覆面の意味はない、誰でも気がつくグレートゼブラ
最近「全日本プロレス」で検索すると、「全日本プロレス ガラガラ」などという文言が出る。あるファンによると、DDTや大日本プロレス(最近横浜市内の商店街で興行を行なったらしい)はファンを飽きさせない工夫をしているが、全日にはそれすらないとか。そしてギャラの未払い問題等も取り沙汰されている。ギャラ未払い問題といえば、かつてはライバル団体の新日本プロレスで起こっていたことだった。人気沸騰中だった初代タイガーマスクが早々に引退してしまったのは、何も原作者の素行が悪かったことばかりが原因ではない。むしろブラジル経済悪化が引き金になったといえる。

晩年"御大"ジャイアント馬場が、東京新聞の夕刊に自伝めいたエッセイを連載していたことがあった(というよりもインタビューか。明らかに口語体だったので)。たしか最終回にて、「社長業に向いているのかどうかいまだに疑問」「それでも自分が嫌なことは他人にはしないように心掛けてきた」といった意味のことを述べていた(まるで『論語』ではないか。「己の欲せざる所人に施すなかれ」か)。若手時代からの盟友に対する皮肉であることは明白であったし、正直読んでいてあまり気分のいいものではなかった。

ところが最近知ったのだが、そもそも全日本プロレスは日本人選手のギャラが安かったのだとか。そしてチケット等の現物支給さえあったらしい。つまり自力で営業し、売れたら懐に入れても構わないということ。興行面ではライバル団体の新日本プロレス時代、果たして選手たちはチケットを売ることなどできたのだろうか。逆輸入のスーパースター、ザ・グレート・カブキなども冷遇されていたらしい。カブキが全日マットに初登場したシリーズは、御大・馬場が( 海外遠征のために)不在であったにもかかわらず、黒字興行。 レスラーとしての実力は言うまでもなく、それまでになかったスタイルであるゆえ、一般紙からの取材依頼、そして日本テレビは、テレビ朝日の『タイガーマスク二世』の向こうを張ったアニメ化すらも企画していたという。すべて企画倒れになってしまったのは、御大が認めなかったからだという。要するに妬み。プロレスファンのみならず、多くの一般人も「馬場=人格者」「猪木=ならず者」のような見方をしているようだが、真実はどうなのか。

こんな逸話がある。御大の生前、全日本プロレスが東京ドーム大会を行なったことがあった。日本テレビ側はゴールデンタイムで放映する考えを持っており、最有力選手で、すでにかなりの権限を委譲されていた三沢光晴に天龍源一郎、大仁田厚、冬木弘道ら全日本出身の有名レスラーが参加できるように要請したという。ところが「うちから出て行った選手はうちのリングには上げられない」という御大の頑なな態度でやはりこれまた企画倒れ(ゴールデンタイムの放映もなくなった)。先の初代タイガーマスクはじめ、長州力、前田日明、藤 原喜明ら"離脱組"が後年新日本マットに出戻りしていることを考えると、御大の「神格化」 は一部マスコミが創り出したものなのか。劇画『タイガーマスク』にて覆面レスラー、グレートゼブラとなり、主人公を助けたときには"いい人"のように思えたのだが(?)。

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(470) 昼下がりの動物園

昼下がりといえば、情事だろう
暇を見つけて動物園に行きたいと思っていた。動機はかなり単純なもの。先日なじみの立ち飲み屋で飲んでいたところ、明治製菓の「カール」が東日本地区では販売中止になるという話題になった。すると隣で飲んでいた小生よりも幾分年上と思われる男性が、「何でだよー! オレ、カール好きだったんだよー!」と突如駄々をこねた。その男性が帰った後、小生の頭の中で連想ゲーム開始。明治製菓のカール→プロレス界のカール→カール・ゴッチ(連想ゲームとは言い難いが)。そしてガール・ゴッチのかつての名言を思い出す。「ゴリラを見よ。鍛えていなくてもあれだけたくましいではないか。所詮人間は自然界の動物には勝てない」という意味のことを、その昔海外武者修行中の藤波辰巳(当時)、木戸修らに語ったそうだ(果たして名言なのか?)。そこで、「そうだ、京都へ行こう!」ならぬ、「そうだ、ゴリラを見に行こう!」ということになった。

向かったのは、横浜市の金沢動物園。いつでも行けると思いつつ、まだ行ったことがなかった。残念なことに、この動物園には霊長目、とかサル目とかに属する生物が存在しない(ただし"ヒト"は別だが)。 それでもゾウにキリンにサイ等々。大型動物には恵まれ、十二分に楽しめた。思えばかつて旅に出ると、動物園に行くことが少なくなかった。バンコク、ホー・チン・ミン、上海、コロンボ、プノンペン、シンガポール、バルセロナ……。動物園見学はメインイベントではないものの、セミ・ファイナル級だった。小規模だが、横浜の金沢動物園も捨てたものではない。何といっても、放し飼い同然のカンガルーたちを見物することは一興であった。カンガルー同士の格闘シーンを見ているうちに、人間の脆弱さを思い知らされることになった(それほど大袈裟なものではないが)。尻尾を支えにしてのドロップキック。かつての御大の32文ロケット砲よりも角度があるのではないか! どうせならカンガルーキックも見てみたい。猪木や武藤がよく使っていたな。子カンガルーが母親カンガルーの袋から飛び出すような形で、相手にキックを浴びせる。中学時代のプロレスごっこにおいて、何度試みても成功しなかったあの技だ。しかし肝心の母親カンガルーが見当たらない。

「赤ちゃんを袋に入れたお母様、いらっしゃいましたら・・・」。

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(469) タイガーマスクとの違いは初代のみであること?

アイスクリームの話題かと思った
3回連続でメキシコがらみの話を書くのは個人の趣味ではなく、単なる偶然である。先日"Yahoo Japan"のトップページ上にて「勝てないライガーの姿」という文言が載った。新日本プロレスにおける「スーパーJrカップ」における成績が芳しくないのだそうだ。思えば「スーパーJrカップ」そのものは、もともとライガーが尽力して始まったイベントであったはずだ。94(平成6)年だったかと思う。新日本所属の選手や新日本系の外国人選手のみならず、みちのく、FMWといった他団体の選手も参加した。当時からライガーは「ジュニアはひとつ」と言っていた。その後は各団体が管理するジュニア王座を統一するという、画期的、ある意味「離れ業」も実現した(ジュニア8冠王座)。

そもそもメジャー団体においては、ジュニア戦士は優遇されていたとはいえない。日本人、外国人問わず大型の選手が多かった全日本は言うまでもなく、藤波辰巳(当時)、初代タイガーマスクらでジュニア戦線の"ビジネス化"に成功した新日本においても例外ではなかった。

ジュニア戦士がメインを飾ることはなく、良くてセミ・ファイナル。つまり名脇役になる道は開かれていても、 主役になる道はおのずと閉ざされていた。体格で見劣りする入門希望者には、どこか冷たかったのではないか。ザ・グレート・サスケやウルティモ・ドラゴンは新日本の入門テストに不合格になってから各々レスラーになる道を模索しているが、意外にもライガーは新日本の入門テストさえ受けていない。レスリング選手として活躍した高校時代、身体が小さかったためにすでに日本でのデビューを諦めていた少年は、NHK教育テレビの『スペイン語会話』などでスペイン語の習得に励み、メキシコでレスラーになることを考えていたという。卒業後に実際に渡墨し、結果的には現地で出会ったグラン浜田を介して新日本入りを果たしているが、そのプロレスへの情熱には計り知れないものがある。ライガーは、ジュニア戦線を盛り上げ、本当の意味で"ビジネス化"したレスラー。ヘビー級を超える力を持つジュニア戦士としても評価されている。もう一花咲かせてほしい。

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(468) リカルド君のこと(面識はないが)

TAJIRIも鍼灸師だし
前回メキシコにおけるプロレス観戦の話を書いた後、ふと思い出したことがあった。学生時代に第二外国語としてスペイン語を選択していたということもあり、かつてはNHK教育テレビの『スペイン語会話』をよく見ていたのだが、1994(平成6)年度は「メキシコ・シリーズ」が放映されていた。現在も手元にそのときのテキストがある。講師はメキシコ留学経験のある早稲田大学の山崎眞次助教授(現教授)。各月主人公が異なり、ダンサー、陶芸家、観光地の船頭等々、いずれも現地にて実在の人物を取材しており、楽しめる内容であったことを覚えている。その年度の5月号の主人公は新人レスラーのリカルド青年。第1週目は彼に対するインタビューであった。「女友達はいますか?」の質問に対し、"Ahorita, no. Casi no hay tiempo para las chicas."(「今はいません。女の子のための時間はほとんどありません」)といった具合。そして第2週目はジムで鍛えるリカルド青年。尊敬するレスラーでもある父から厳しく鍛えられていた。それから第3週目は露天商として働くリカルド青年。かのドスカラスがデビュー当時中学教師との二足のわらじであったことは有名な話だが(ゆえにDos caras=ふたつの顔である)、メキシコではプロレスだけで生計が成り立つまでは副業を持つことが珍しくないらしい。

たとえば01年ごろみちのくプロレスに参戦していた風神なる覆面レスラーは、メキシコ武者修行時代にはタコスの屋台を引いていたという。ちなみにリカルド君の場合には露店で電気機器の販売を行なっていたようだ。‘No es facil ganar el dinero.’(お金を稼ぐのは容易ではありません)とのことだった。そして最終回には仮面を被って登場するリカルド青年。ルード(悪役)のミスター・アンヘル(というか、あんたら1ヵ月にわたって素顔の覆面レスラーの私生活を取材していたのか)。当時は試合の映像も流れ、最後は悪役組が勝利を収めていた。ハッスル、プロレスリングノアに参戦したことのあるエル・アンヘルとは別人なのか?リカルド君の住まいがメキシコ・シティ内で、しかるにエル・アンヘルの出身地がメキシコの地方都市であるところはみると、つながりはないような気がするが。

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(467) 前売り券も当日券もネットで

ダフ屋が懐かしい
大相撲秋場所のチケットの窓口販売が中止となるそうだ。昨今は即日完売などということも珍しくなく、窓口販売を続行すると地方居住者の購買機会が減少し、全体的な公平感が損なわれるということらしい。スポーツにしろ、映画や演劇にしろ、今でこそネット販売が主流だが、かつてはチケットは窓口で買うもの、でなければチケットぴあ又はコンビニのカウンターで買うものだった。米国時代、機会があるたびにメジャーリーグ観戦をしていたが、そういえばアトランタやニューヨークのような都会での窓口購入は楽ではなかった。散々待たされた挙句、内野席の最上部の席しか残っていないということもあった。外国人であるがゆえに優遇(?)されたこともある。

タイ・バンコクのルンピニー・スタジアムでは何度もムエタイ観戦をしているが、窓口付近で並んでいると、「リングサイドでいいんだろ?お代は中で払ってもらえばいいから」と通用口から会場内へ案内されるのが常であった。むろんリングサイドの席はあちらでは高価なのだが、お構いなし。何しろリングサイドより後方の席では、試合の勝敗を賭けている人たちばかり。すごく殺気立っている(ちなみにリングサイドとそれより後方の席の間には金網が設置されている)。

メキシコシティのアレナ・メヒコにおいてはいささか苦い思い出がある。ルチャ・リブレ観戦のため会場へ向かうと、やって来ました。外国人客目当ての係員が。会場の見取り図を差し出し、チケット売買の交渉に出る。彼が売ろうとしていたのはそこそこの位置の席だが、リングサイドからはやや遠ざかっている。そこで No hay asiento mas cercano del ring(リングにもっと近い席はないの?)と訊いたところ、案内されたのはもろにコーナーポストの前。正直見づらかった。かつて初代タイガーマスクと対戦していた、ブラソ・デ・オロ、ビジャーノ3号らの元気な姿を間近で見ることができたので、よしとするか。

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(466) 大阪、オハイオ、沖縄

腐った豆
スペル・デルフィンが「たけしプロレス軍団」の一員であったことは前々回に書いたが、そういえば10日くらい前の『日刊ゲンダイ』紙上にて、スペル・デルフィンのインタビュー記事が掲載されていた。高校のレスリング部時代には49キロ級だった彼が、プロ入りが可能な80キロ超えするには相当苦労したらしい。むろん食べるしかないのだが、おカネにも困っていた頃は、一回の食事につき米3合摂っていたようだ。おかずは缶詰や納豆と経済的なものばかり。

ところで現在大阪府和泉市で市会議員を務めるスペル・デルフィンは、"コテコテ"の関西人。関西人は納豆が嫌いなはずでは?実は単なる伝説だそうだ。小生が米オハイオ州にいた頃、住んでいた田舎町からシンシナティに行くために、知り合いの女性の車に乗せてもらったことがあった。空気が読めない小生、こともあろうに納豆の話を始めると、"Stop talking about natto! If you keep talking about it, get out of the car!"(「納豆の話はやめて! その話を続けるのなら車から降りて!」)とその女性 から怒られてしまった。よほどの日本食通でもないかぎり、あちらの人たちは納豆が苦手なようだ。

話はスペル・デルフィンに戻るが、彼がかつて率いていた沖縄プロレスはすでに存在しない。 ところがいつの間にか新たなプロレス団体が誕生していた。その名は「琉球ドラゴンプロレスリング」。ソーキ、シークワーサ等沖縄をモチーフにしたレスラーが所属しているらしい。どうせならミミガー、スクカラスあたりがいてもいいような気がするのだが。

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(465) 他人の事情

場外を駆け回っていたシンのサーベルから逃げ回ったことがある
松田聖子、神田沙也加の母娘の不仲が芸能マスコミで取り沙汰されている。娘にしてみれば、母親のために学校時代にいじめに遭ったということもあり、快く思っていないのだろう。それにしても、芸能マスコミというものはよくも好んでひとさまの私生活に首を突っ込むものだ。この一件で、なぜか松坂慶子の父親との確執を思い出した。

その昔『進め! 電波少年』(日本テレビ系列)なるバラエティ番組があり、その中の企画で「話題の親子を仲良くさせよう!」などというものがあった。たしか松本明子がアポなしで松坂慶子の父親に会いに行き、娘との和解を勧めていた。まさに「余計なお世話」なのだが、バラエティ番組の企画となると、すべて笑いで済まされてしまう(悪趣味?)。

負けじと今度は松村邦洋が「ボクも話題の親子を仲良くさせます!」などと大見得を切り、向かったのはプロレス会場(インディ団体の興行であったと思われる)。当時は"狂虎"タイガー・ジェット・シンと息子であるタイガー・アリ・シンとの不仲説があった。原因は息子が正統派レスラーになりたいと主張したことらしい。そこで松村が父であるタイガー・ジェット・シンを説得しようとしたのだが、控え室の扉を開けるや否やシンのタッグ・パートナーの上田馬之助が「何しに来た!」と怒号を浴びせ、続いて怒り狂ったシンが松村に襲い掛かった。命からがら逃げ出した松村だが、わが記憶がたしかなら、「親子の和解には成功しました」などと言っていたような気がする。

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(464) 昏倒

たけし軍団乱入時、自分は国技館にいた!
去る20日、後楽園ホールにて行なわれた藤波辰爾デビュー45周年興行の終了時、ベイダーがマット上で昏倒したと聞いた。医師からは余命2年を宣告されているそうだ。ベイダーといえば、かつて新日本、全日本、プロレスリングノアにて、主要タイトルを総ナメにした強靭な男(ついでにいえばUWFインターにおいては、プロレスリング世界ヘビー級王座にも就いている)。まだ引退もしていないうちに、余命2年とはにわかに信じがたい。

思えば初登場はギャグの延長線上だった。たけし軍団が「アントニオ猪木を倒す!」という企画を打ち出し、対戦希望者を募集(後のスペル・デルフィン、邪道、外道らも含まれていたはずだ)。結局のところ、米国マット界にパイプラインのあるマサ斎藤がビッグバン・ベイダーを刺客として連れてきたという筋書きだった。最近知ったのだが、キャラクター・デザインを担当したのは、獣神サンダー・ライガーの原作者でもある漫画家の永井豪氏だったとか。

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(463) 二刀流はつらいよ

年金相談、お安くします
資格を持っている人はたくさんいるが、その資格を看板に掲げて実際に仕事をするのはなかなか大変だ。そんな中、友人スーが社会保健労務士として地元の年金事務所にて相談員を務めるらしい。不定期な仕事ではあるらしいが素晴らしいことだ。今はまだふたつの仕事を掛け持ちしているらしいが、ゆくゆくは社会保険労務士でやっていくのか?年金相談、承ります。だ、そうだ。誇らしいぞ!スー! 知り合いの爺さんがド田舎でこの資格を生かし、近所の人の相談や書類の作成をやって細々と生活していた。その爺さんを見て、年齢や住む場所に左右されない資格は素晴らしいと思ったものだ。田舎ゆえ、謝礼が野菜になったりもするらしいが・・・。

その昔、アメフトとメジャーリーグの両方でレギュラーを取っていたという選手がいたが結局長続きしなかった。それからアメフトとプロレスを両立させていたワフー・マクダニエルという選手もいた。80年代初頭に新日本プロレスに参戦した時、アントニオ猪木とシングル戦を行ない、あっさり延髄斬りで押さえ込まれていた。「狼酋長」などというニックネームにもかかわらず、弱すぎるように見えたので、翌日以降同級生とともに物笑いのタネにした記憶がある。当時すでにアメフト界は引退していたと思われるが、 やはり二足のわらじはきついのです。最近見かけなくなったが、作家とコスプレーヤーの〝二刀流” をしていた志茂田景樹なども相当きつかったのであろう(?)。

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(462) 咄嗟の四字熟語

大器晩成と言われ続けジジイになった人は多い
「枕石漱流」という故事成語がある。石を枕にし、川の流れで口をすすぐということから、「質素な生活を送る」という意味である。その昔「枕石漱流」と言うべきところを誤って「枕流漱石」と言ってしまい物笑いのタネになった人がいるそうだ。その意味を問われ、苦し紛れに「川の流れで耳を洗い、石で歯を磨くことである」と答え、以来「枕流漱石」なる四字熟語は"負け惜しみ"を意味することになった。ちなみに夏目漱石の筆名の由来もそこにある。 先日、30代前半とおぼしき若い人から四字熟語を教えてほしいと乞われ、上記のふたつの四字熟語を挙げた。さすがに「大器晩成」「弱肉強食」あたりでは月並みすぎると感じたのである。

かつて『リングの魂』(テレビ朝日系列)という格闘技バラエティ番組があった。その企画のひとつとして、故・剛竜馬、宇宙魔人Xらが熱い風呂に浸かり四字熟語を言わされるというものがあった。その時のゲストが当時昭和のアイドル・松田聖子の浮気相手とされていた米国人のJ君だったのだが、剛竜馬ときたら「J君の前で申し訳ないが、鬼畜米英!」などと答えていた。「プロレスバカ」と呼ばれていたが、決して本物の"バカ"ではなかった証である。

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(461) 懐かしき俗悪番組

芋を食い、屁が出そうになったらライターで尻に火をつける・・・そんな番組もあったが
小生が中学生だった頃、"俗悪番組"とも呼ばれていた『ザ・ガマン』(日本テレビ系列)なる一種バラエティ番組があった。その内容は、東京六大学の学生たちがさまざまな困難に「ガマンする」(耐える)というもので、今思えばやはり"俗悪"そのもの。顔面めがけて向かってくるトカゲのキス攻撃に耐えられるか、どこまで尿意を堪えられるか(たしか明治大学の学生が勝っていた)など健康に悪い企画ばかり。なかには断食後にレストランへ連れられていき、目の前でもりもりと料理を平らげていく全日本プロレス所属の若手レスラーの食いっぷりを見て、どこまで空腹に耐えられるか、という企画もあった。この場合には食べたら負け。耐え切れなくて涙を流しながら料理に手をつけていた学生もいた。結局は最後まで耐えた東大生が勝っていた。

ジャイアント馬場の16文キックに耐えられるか、などという企画もあった。むろん本人が登場するわけではない。プールサイドに設置された等身大の人形が、ボードに乗って水上滑走する学生めがけて足を上げるというもの。見た目よりも効き目があると思え、大方の学生は水中に投げ込まれてしまっていた。

トカゲ、尿意、断食はともかく、16文キックには挑んでみたい気がする。ちなみにウルトラマン80の得意技のひとつである"ウルトラ400文キック"は、ジャイアント馬場の16文キックの250倍の威力があるそうだが、そう言われても正直ピンとこない。

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(460) ハマのスナック

謎フード、グリーンカレーベースのピリ辛おでんとは?
先日(2月16日付)の『日刊ゲンダイ』紙にて、元プロレスラーの山川竜司の近況が載っていた。山川竜司といえば、かつて大日本プロレスに所属し、ハードコア系のファイトを得意とする選手であった。現在は横浜の伊勢崎町にてスナックを営んでいるとのことだ。小規模な店らしく10人も入れば満席。システムは、ハウスボトル飲み放題に料理1品付きで1人1時間1,500円(税込み)。延長料金は男性が同額。女性は1,000円。本人曰く「一品料理は、その日の仕入れ次第。最近はグリーンカレーベースのピリ辛おでんが多いかな」。1人で切り盛りしているゆえ、手間のかかる料理はできず持ち込みもできるそうだ。

01年には頭蓋骨骨折で1週間ほど意識不明が続いたことも。わずか9ヵ月後には復帰を果たしているが、その後のファイトには精彩を欠き、さらには持病だった椎間板ヘルニアも悪化。何度か休養を繰り返した後に引退した。頭蓋骨骨折は、外国人レスラー、ワイフビーター戦にてコンクリートのフロアに後頭部を強打したことに起因するものだが、相手レスラーのことは恨んでいないとのこと。「事故は私自身の未熟さが原因。それを自覚していますから」と述べている。なお、現在も大日本プロレスの営業をサポートしているという。

それにしても、画鋲デスマッチというのは凄まじかった。動画サイトで見たことがあるが、ラ・マヒストラルのような技ですら拷問技に映る。蛍光灯デスマッチを始めたのも、たしか大日本プロレスではなかったか。「私は、あの子たちが怪我をしないか心配なんですよ」(グレート小鹿談)に首をかしげたことがある。

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(459) 宴もたけなわ

常態化していた吊り天井固め
先日、路線バス車中にて、目的のバス停が近づいたところでついうっかり席を立ってしまったところ、運転士にえらそうな口を利かれて不快になった。言うまでもなく乗客の安全に配慮するのは運転士の責務であるし、考え事をしていたとはいえ、走行中のバス車中で席から立ったこちらにも非があったといえる。しかしかつて作家の椎名誠も書いていたが、公務員、民間人問わず、制服関係者の中にはなぜに口の利き方を知らない人間が多いのだろうか。

制服関係者といえば、最近滋賀県警・長浜署にて不祥事があったというではないか。飲食店における懇親会にて男性署員が女性署員にプロレス技を掛けたというもの。余興の一部なのかもしれないが、なんでもスカートを穿いた女性署員に吊り天井固めをかけたとか。女性署員のひとりはスカートの下に短パンを穿いていたから(中高生ではあるまいし)下着は見られていないなどと供述したようだが、それが本当なら常態化されていた可能性すらある。つまり吊り天井固めを掛けられるのを予め承知していたということ。吊り天井固め、通称ロメロ・スペシャルは、最も説得力のないプロレス技のひとつ。見た目の華麗さは認めるが、効き目については疑問符が付くし、仕掛けている方が実は苦痛なのではないかという気がしてならない。かつて梶原一騎原作の『プロレススーパースター列伝』の中で、ミル・マスカラスが師匠のエル・サントの吊り天井固めに苦しみながらも脱出に成功したという話が出てきたが、やはりこれも作り話なのではないか。何もしなくてもやがては仕掛けている側が 疲れてくるだろうし。

それから忘れてはならないのが、獣神サンダー・ ライガーは相手レスラーの肩のあたりを叩き、腕を出すように協力を求めることがある。となると先の滋賀県警・長浜署の吊り天井固めは「いつものこと」なのだろうか。

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(458) さそり座固めで合格点

昔は素朴で面白かった
先日『第94回 欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』(日本テレビ系列)が放映された。近年は見ることがほとんどなくなったが、小中学生の頃には大晦日の楽しみであった。仮装といってもハローウィンのようにそれらしい仮装をしては高得点が望めないのが、この番組の特徴。かつてそれらしく"バルタン星人"になり、NHKのビル(裏番組が『紅白歌合戦』なので)のミニチュアを破壊した参加者がいた。子供心に面白く捉えたが、たしか不合格だったはずだ。アイデアをつまらせた、ユーモア溢れるものが高得点につながる傾向にある。

80年代中頃、中学生とおぼしき少年たちが演じた"プラネタリウム"などもその一例。被り物に過ぎない獅子座はいまひとつだったが、仲間にさそり固めをかけ、「蠍座!」と声を上げたときにはこちらも笑わずにはいられなかった。それから芸人ダウンタウンの作品も忘れてはならない。まっちゃんが合格バーに扮し、浜ちゃんが司会のシャーロック・ホームズの格好をした司会の欽ちゃんに扮した。なかなか点数が上がらない合格バー。浜ちゃんが応援する。「ボク、これひとりで作ったの?」。頷くまっちゃん。「ひとりで作ったんだよー。 ひとりで作ったんだよー」と浜ちゃん。そして点数は上がっていく。実物の合格バーともどもだ。さすがの欽ちゃんも「おい、照れるなー」と本当に照れ臭そうだった。

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(457) 素質は充分なのに

相撲は宇良が面白い!
豪栄道戦での不戦勝が決まるなど、今場所の稀勢の里にはツキもある。稀勢の里がどうというわけではなく、日本人横綱にこだわる相撲協会の頭の固さにいささか呆れる。プロ野球界でも昨今はハーフの選手が活躍するようになっているし、今後はその傾向が強くなる可能性がある。だいいち元首相の中曽根某ではあるまいし、そもそも日本は単一民族国家などではないのだ。

さて、綱取りの条件は二場所優勝かそれに準ずる成績だそうだが、優勝経験がなくても横綱になった力士ももちろん存在する。北尾光司(元双羽黒)がそうだった。親方との相撲道に対する考え方の違いを廃業の理由として挙げていたが、結局は「ちゃんこがまずいから」が本音だった。「太陽が眩しかったから」殺人を犯した、アルベール・カミュ原作の『異邦人』の主人公とあまり変わらないではないか(大いに変わるか)。後年のプロレスラー転向はある意味自然の流れ。あの頃のプロレスファンは、誰かがプロレス入りすると聞くと新日本なのか、全日本なのかと興味を持ったものだが、先輩の輪島、琴天山(ジョン・テンタ)の例に倣うのかと思いきや、まさかの新日本参戦。ただし団体所属選手ではなく、あくまでも芸能事務所所属。年間の試合数も限られていた。その後総合格闘技に転じているが、素質があっただけに若くして引退してしまったのが惜しい。やればできる子が、やる気がないばかりに優等生になれないようなものだった。

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(456) 酒場放浪

赤羽の立ち飲みやは3杯までの店が多い
年が明けてから横浜・野毛および大船にて居酒屋(立ち飲み屋)の開拓を行なった。とりわけ大船は『アド街ック天国』(テレビ東京系列)で取り上げた翌日だったということもあってか、わりと込んでいた。向かったのはまさに番組の中で取材を受けていた店(そういう場合には開拓とは言えないのか?)。店内でも番組のことを話題にする常連らしき客が数名いた。まずは八海山を注文。つまみには、日本酒に合うものをと思いつつも、番組で紹介されていた分厚いハムカツを選んだ。すでにどこかで飲んできたと思われる常連らしき客が、テレビの相撲中継を見ながら論評(?)を続ける。「同じような体格なのに弱いということはこいつは頭が悪いんだな」「もしかしたら親方も頭悪いのかもしれないな」等々。どうやらこの常連客は片端からバカ扱いしたいらしい。しかし立ち飲み屋には、この程度の雑音があっても悪くない。その日は天皇陛下も観戦された初日。そして本日(17日)は10日目。稀勢の里が1敗を守っているではないか。待望の日本人横綱を誕生か。本当に強いのならありか。

スーが社会労務士登録しました。来年は本業になるかもよ。

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(455) 女子プロ旋風?

昔は出直しといえばプロレスデビューだった
ハッスルマニア以来、芸能人や他の競技のスポーツ選手など、プロレスが本業ではない有名人がリングに上がることに違和感を持たなくなった。近日、女子プロ団体のスターダムの興行にフリーアナウンサーの脊山麻理子とモデルの鈴木奈々が参戦することになった。プロレス素人を参加選手としてリングに上げてしまうとは、スターダムは果たしていったいどんな団体なのか。調べてみると米・英・メキシコ・豪州にある女子プロレス団体とも交流しているかなり本格的なプロレス団体らしい。お色気だけで終わらないことを期待したい。

テレビドラマの世界でも女子プロレスが旋風を巻き起こすか? 来年1月21日よりテレビ朝日系列にて『豆腐プロレス』なる番組が土曜日の深夜に放映されるらしい。企画・原案は秋元康で、出演者はいうまでもなくAKBグループの面々。こちらの方はドラマなのだからお色気だけで済ませてしまうのかと思いきや、元レスラーのミラノコレクションA.T.、下田美馬をコーチとして招聘し、トレーニングを行なっているらしい。やはりプロレスは単なるエンターティメントではない。

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(454) プロレス屋を起用(あるメディアの表現)

勝ったあとはサンキューツアー
米大統領選にて、トランプ氏が"まさかの勝利"を収めてから早くも1ヵ月超の時が流れた。いまさらながら一部メディアのデリカシーのなさにはある意味感服する。絶対的にクリントン氏有利と書き立てながら、思わぬ結果が出てみると「トランプ氏は勝つべくして勝った」とでも言わんばかり。しかし勝ったからにはやはり勝つだけの要素があったことには違いない。『週刊ダイヤモンド』の先週号(12月10日号)では「商社の英語」なるビジネス英語に関する特集記事を組んでいたが、同誌の分析によるとトランプ氏の演説は明快なのだとか(原文に当たったが、やはり明快)。

英語という言語は繰り返し同じ単語、表現を使い回すことを嫌う傾向にあるのだが、トランプ氏はあえてその不文律を破っている。"great" "beautiful"のような日本でいえば中学生でも知っている単語を繰り返すなどの手法で聴衆の心を掴むことに成功した。しかるにクリントン氏の英語はまさにインテリ英語。凝った表現や、ネイティブにとっても決して聴き取りやすいとはいえない関係詞をやたらと用いる傾向にあるとのこと(原文に当たったが、同感である)。なまじ知性が逆効果を生んだともいえる(トランプ氏の知性には言及するつもりはないが)。

来年1月に大統領に就任するトランプ氏だが、WWEのCEOであるビンス・マクマホン氏のリンダ・マクマホン氏を中小企業庁長官に据えるらしい。トランプ氏とマクマホン氏の交流関係については前に書いたとおりだが、"お友達人事"の実行といったところか。ただしリンダ・マクマホン氏自身もWWEの経営には深く関わってきたわけだから中小企業庁長官は格好の役職といえるし、かねてから政治にも関心があったようだから不自然でもないか。

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(453) 最古のタイトル奪取

アジアって結構広いよね
誕生日といえば、来年10月に還暦を迎える大仁田厚が今度こそ引退をするらしい。その大仁田が先日全日本プロレスの領国大会にて淵正信とタッグを組み、アジアタッグのタイトルを奪取した(記念すべき第100代王者である)。合計121歳となるこのふたりは、若かりし頃は米国をサーキットしていたことがある。故・ハル薗田含め、「若手三羽烏」と呼ばれていたそうだ。アジアタッグは現存する国内のタイトルでは最古のもの。それだけに伝統があり、歴代戴冠者には力道山、豊登、吉村道明、ザ・デストロイヤー、大木金太郎、ジャイアント馬場、アントニオ猪木等々の誰もが知るレスラーがその名を連ねる。

90年代後半に全日本プロレスが鎖国体制を解いて以来、インディ系レスラーにも挑戦、さらには戴冠の機会が得られるようになったが、伝統あるタイトルをかつての盟友とともに奪取できたことは本人にとっても大きな喜びであろう。入場時には電流爆破バットを持っていたそうだが、淵は大仁田のスタイルを認めたうえで制止。「全日本のスタイルでやろう」と言ったそうだ。試合の途中、相手に捕まった淵を救済すべく、毒霧噴射、椅子攻撃のような"邪道"らしい行動も取ったようだが、最後は淵のクリーンなファイトで締めくくったとのことだ。

ちなみに"アジア"と名のつくタイトルにはシングル部門である"アジアヘビー級"もかつては存在し、日本プロレスから全日本プロレスに受け継がれているが、80年代前半に消滅している。新日本プロレスにも同名のタイトルが制定されていた時期があるが、こちらも短期間で消滅している。

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(452) 千両役者逝く

弔いの10カウント
プロレスリングノアの顧問を務めていた永源遙氏が亡くなった。70歳。かつては古希などと言われたらしいが、今の時代には早すぎるような気がする。それだけ現役時代に肉体を酷使していたということだろうか。小生が中学生の頃だったから、永源氏がまだ30代半ばくらいの頃だったであろうか。地元の体育館で行なわれた新日本プロレスの興行を観戦中、会場内で試合前の永源氏を見かけたことがある。観客のひとりがサインを求めると、「試合前なので勘弁してください」と断っていた。試合前のサインや握手については断る選手と引き受ける選手とに分かれるので、求めることが必ずしも「デリカシーがない」などとは言えないのだが、あの時の気難しい表情からは後の全日本プロレスにおけるコミカルなレスラーの姿はとても想像できなかった(そもそも全日プロ移籍すら想像できなかったのだが)。

新日本時代の永源氏はまさに大相撲出身者らしいレスラー。技なども豪快だった。たしか地元体育館で観戦した時には、後年海外武者修行を経てスーパー・ストロング・マシンとして 凱旋帰国することになる平田淳二(当時)とのシングル戦で、最後は首固めで勝っていた。

また83年夏頃に出版された藤波辰巳(当時)の初めての著書『ライバルをつくれ! そして勝て!』(ベースボールマガジン社刊)においては日本プロレス時代の永源氏についての記述もあり、合宿所の後輩たちへの心遣いが表されていた。そして何よりも猪木、馬場の両雄から愛された稀有な存在でもあった。

心よりご冥福をお祈りいたします。
(注:永源氏以外は敬称略)

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(451) スー女?

「しこめ」じゃまずいかな
「新日本プロレスを変えた男」棚橋弘至が、先週より東京新聞朝刊にて全10回の自伝を連載している。両親を説得して大学卒業後にプロレス入りを決め上京したこと、鍛えた体に合う服を見つけるのが困難となり、「あなたに合うサイズは扱っておりません」などと店で言われ、愕然としたこと等々。馬場も猪木も去ったマット界にて、誰もが知る存在となりつつある棚橋は新日本プロレスのみならず、プロレス界を変えた(または変えつつある)男とも言える。

イケメン格闘家といえば、大相撲の前頭・遠藤も忘れてはならない。今場所はこの稿を執筆している九日現在で五勝四敗だが、大関3人、さらには横綱・白鵬から金星を上げるなど健闘している。ただのイケメンの相撲取りに終わりそうもない。

ところで先の棚橋弘至の功績のひとつとして、プロレス界に女性ファンを増やしたことが挙げられるが、遠藤も同じかたちで女性相撲ファンを増やしていると聞く。なんでも最近ではスー女なる単語もあるそうだ。山ガールやカープ女子などと比べると、その命名はいかがなものかと思う。もう少しマシな言葉を思いつかなかったのだろうか。

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