プロレストップ

プロレス彼是

プロレス

page17 (481-510)/全体の目次
481 カジノはいらない
482 脱ぐのも芸?
483 多彩な時代のハロルド坂田
484 地球の裏側の思い出
485 七度目の引退と四つのお願い
486 禁じられた飲酒
487 プロレス界に転職?
488 墨田区にいらっしゃい
489 仮面貴族と狂虎と前座の力道山とでは誰が好き?
490 肘打ちは年金よりも重要か?
491 プロレスはじめて物語(入場テーマ曲、覆面レスラーetc.)
492 横綱ではなく、横網の名物
493 なつかしのドキュメンタリー番組
494 読書感想文にはプロレス関連本を
495 マンガ大国の失態
496 メディアの都合
497 シンプル イズ ベスト
498 このレスラーがけっこう好きだ!-リッキー・フジ篇-
499 このレスラーがけっこう好きだ!-大矢剛功篇-
500 とうとう来たぞ! 500回目!
501 このレスラーがけっこう好きだ!-K-ness
502 ・・・・
503 ・・・・
504 ・・・・
505 ・・・・
506 ・・・・
507 ・・・・
508 ・・・・
509 ・・・・
510 ・・・・

(501) このレスラーがけっこう好きだ! -K-ness篇-

愛犬家と聞かされても困るが
いきなり覆面レスラーの素顔について触れるのはデリカシーがないと言われそうだが、その正体が齋藤誠であることはすでに知られている。北関東を中心に興行を行なっていた、レッスル夢ファクトリーにてデビューし、その後闘龍門(現・DRAGON GATE)に参戦。不仲だったTARUに敗れて一度は団体を去るが、"謎のマスクマン"ダークネス・ドラゴンとして再登場。以後は望月成晃が率いていたM2Kに加わるが、やることは何かと無欲というか、消極的。
トーナメントにおいても、仲間を盛り立てるべく自らは勝利にこだわらず、全戦両者リングアウト。はたまたバトルロイヤルにおいてはリーダー・望月と最後のふたりになると、マットに横たわって故意にフォールを奪われてしまう。ドラゴン・キッドに執拗なライバル心を燃やすが、2002(平成14)年にマスカラ・コントラ・マスカラに敗れて素顔になった。その後マスクを一新し、キッドとは盟友関係となっている。 なお"クネス"とは言うまでもなく、元のリングネーム"ダークネス・ドラゴン"の略称であり、かつては闘龍門の中継などでもそのように呼ばれていた。実際にリングネームをK-nessにしたときには、何やら妙な感覚を抱いたものだが、本人には違和感がなかったのだろうか。

延髄斬り(シャイニング・ウィザードのように相手の身体の一部を踏み台にしてから蹴りを入れる)、ダークネスバスター(クロスアーム・ノーザンライトボム)、光の輪(回転揺り椅子固めの派生系技)等々、持ち技も少なくない。悪役キャラではなくなり、ある時期から怪我に悩まされるようになったことから、コミカルなお笑いプロレスもこなすようになった。菊タローとの対戦では一旦裏手へ引き下がり、試合中に互いのマスクを交換したこともある。 本人のブログによると、デビューから22年が経つとのことで、人生の半分をプロレスに費やしていることになるそうだ。ちなみに"素顔"は、愛犬家であるらしい。

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(500) とうとう来たぞ! 500回目!

祝500回達成記念!

[MSGプロレス検定 特別編]
第1問 キラー・カーンの醜態について記述せよ
回答例:かつて『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系列)に出演したときのこと。ダチョウ倶楽部とプロレスで対決することになった。3人がかりとはいえ、まともにやったら勝ち目はない。そこで竜兵と寺門は前からキ〇タマつぶし攻撃。肥後は後方からカンチョー攻撃に出た。苦痛のあまり悲鳴を上げるキラー・カーン。とても全米でブレイクした元レスラーとは思えなかった。

第2問 会話になっていない会話とは何か。具体例を挙げよ
回答例:かつての鉄板麺(シマダヤ)のCMにて。「木村さん、人生とは何ですか?」という女性(声のみ)の質問に対し、ラッシャー木村の返答は「鉄板麺!」だった。

第3問 ケチくさいな、と思った経験について述べよ
回答例:その昔新日本プロレスの会場で売られていたパンフレットには、「100万円を制作費として、どんな映画をつくる?」といった質問に、各レスラーが回答するという企画があった。藤原喜明の回答は3万円で『金魚の一生』なる映画を制作し、残りは自身のポケットに入れるというものだった。ちなみに城マニアとしても知られる藤波は、『徳川家康』と答えていたが、100万円では無理だろう。

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(499) このレスラーがけっこう好きだ!-大矢剛功篇-

こちらもほぼ同い年・・・がんばらなきゃいかんな
よく知られているように、大矢剛功選手は新日本プロレス出身で、アントニオ猪木の付け人を務めていたことがある。そのせいか延髄斬りからの卍固めなど、師匠ばりの動きをみせたり、試合後に「1,2,3、ダー!」とやったこともある。剛功(ひさかつ)は元々は戸籍上の名(元の名は健一)ではなかったが、その後は法的な手続きを経て、本名になったそうだ。

新日本プロレスを退団後は家庭を持ち、スポーツインストラクターに転身したが、SWSのマット上にてプロレス復帰。団体崩壊後はインディー系団体に参戦することになった。FMWに参戦した当初は、ポーゴ軍団の一員としてデスマッチ路線で暴れていたが、大仁田厚が去った後に本来の持ち味を生かすようになった。デスマッチ路線を離れ、ストロングスタイルの試合運びができるレスラーとして、メインイベントのシングル戦なども行なうようになった。なかでも98(平成10)年に行なわれた、黒田哲広との試合は、両者の良さが出た名勝負だった(結果は原爆固めで大矢の勝利)。本格的なレスリングへの憧れなのか、かつてたびたび自主興行を行なっていた、藤波辰爾を表敬訪問したこともある。
現在はトレーナー兼任コーチとして、北都プロレスを主戦場にしているとのこと。「男の中の男」は、たしかに今も存在感を発揮している。

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(498) このレスラーがけっこう好きだ! -リッキー・フジ篇-

え?同い年・・・・そうなのか
リッキー・フジが新日本プロレスの練習生であったことは、よく知られている。本人曰くアントニオ猪木への憧れからプロレスに興味を抱くようになったという。しかし身体の大きな者がレスラーになるのが当たり前だった時代、自身がレスラーになるのは夢物語だったようだ。

きっかけは、蔵前国技館におけるタイガーマスクのデビュー戦。間近で見たタイガーマスクがさほど大きくなかったことから、夢を現実化するべく筋トレに励んだという。新日ではデビューに至らず、カナダでブッカー、トレーナーとして手腕を発揮していたミスター・ヒトから指導を受ける。 FMW時代に"カナダ軍"の一員になったのも、こうした経緯があったからだろう。

本格的レスリングからハードコアな試合までこなせる器用さから、FMWにおいては"便利屋"として使われることが多く、それゆえに反抗的に正規軍から外れたと言われるが、インディー系プロレスへの愛情は人一倍強いといえる。

忘れてはならないのが、平成6年に行なわれたザ・グレート・サスケとの試合。たしか試合直前にサスケは保持していたインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー王座のベルトを返上していたはずだ。サスケに勝利すると同時に第二代王者としてベルトを手にしたリッキー・フジ。試合後サスケに対し「このベルトはお前が思っているより大切なものなんだ! 気安く返上するんじゃない!」という内容の発言をしていたかと思う。

FMW崩壊後も、複数のインディー団体で活躍するリッキー・フジ選手。現在主戦場とするKAIENTAI DOJOにて、STRONGEST-Kのベルトを奪取する日が、一日も早く来ることを願うばかりだ。

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(497) シンプル イズ ベスト

昔、伯父の昭次に三角絞めをやられて伯父は出入り禁止になった
思うにラリアートという技が受け入れられた原因は、鍛え上げた太い腕を鍛えようのない相手の喉元に叩き込み、なぎ倒すという説得力もさることながら、やはり技そのものの単純明快さではなかろうか。業界関係者およびマスコミ関係者は、プロレス黎明期より子どもたちに危険なプロレスごっこをしないようにと警告してきたが、まねしやすい技はやはり受けがいい。

中学時代、プロレス技に関する書籍にはやたらと目を通した。不器用な自分でも使える技がないか探ったものだ。とりわけ山本小鉄が著した本は図解でわかりやすく描かれていた。私生活でもぜひ使ってくださいといわんばかり。スモールパッケージホールドのような技が使えるようになったのも、山本師匠のおかげだ。プロレス技に関する本というものは、どれもこれもわかりやすく図解しておきながら、前書きには必ずといっていいほど「家庭、学校、職場、街角等では使わないように」などと書いてあった。おかしなものだった。

たしか現在国会議員を務める馳浩は、説得力のない技は嫌いだと述べていたことがあった。彼のジャイアントスイングに説得力にあるのかと問われれば疑問符がつくところだが、そんな馳がその昔IWGPタッグ戦において、ヒロ斎藤から単純明快かつ説得力のある技でフォールを奪われたことがあった。

技の名はいうまでもなくセントーン。

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(496) メディアの都合

中国土産、痩せる石鹸を思い出した
昨日(3月5日)の『東京新聞』のコラム‘筆洗’では、劇画『あしたのジョー』を引き合いに、過日の世界タイトル戦におけるルイス・ネリの体重超過を批判していた。明らかに体格差のある矢吹丈と力石徹。力石は丈との対戦を望み、過酷な減量に挑み、不幸な結果を招く。丈自身も減量に苦労し、周囲からはひとつ上の階級を目指すことを勧められる。しかし命がけの減量でバンタム級になった力石のことを思い、フェザー級になることを拒否する。実はかの劇画を熱心に見たことがないのでよく知らなかったのだが、ボクシングにはつきものの"減量"も当然にひとつのテーマとなっていた。 『日刊ゲンダイ』では"伝説のレフェリー"森田健氏のコメントが寄せられていた。海外では選手が減量に失敗すれば試合を1日延期し、翌日再計量することもあるらしい。テレビ中継というメディアの事情もあるかもしれないが、そのために公平性を期することができなくなるのはどうかと思う。

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(495) マンガ大国の失態

その頃すでに「ケイシュウ」で馬券予想をしていた
『月刊コロコロコミック』(小学館)といえば、小学生の頃よく読んだ漫画雑誌だ。もっとも当時はお小遣いが少なかったため、毎月購入するのは困難だったが。その頃は何といっても『ドラえもん』をはじめとする藤子不二雄(まだ分担作業の事実を世間に公表していなかった時期)の作品が当たりに当たっていたということもあり、小学生の間では最も読まれていた漫画雑誌だった。 その『月刊コロコロコミック』がモンゴル大使館から抗議を受けているというではないか。事の発端は、連載漫画の中でチンギス・ハンの像の顔の部分に卑猥な落書きが描かれるという場面があったことらしい。朝青龍も激怒しているとのことだ。

小学校を卒業すると、『月刊コロコロコミック』も卒業し、たまに『週刊少年チャンピオン』や『週刊少年サンデー』(いうまでもなく、『プロレススーパースター列伝』が目的。『うる星やつら』も好きだったが)を読むようになった。周囲には『週刊少年ジャンプ』の愛読者が多かったが、そちらにはあまり興味がなかった。ただしわが弟や従兄がわりと好きだったので、ジャンプの連載漫画の単行本を手に取る機会もあった。ふと思い出したのだが、登場人物のほとんどがプロレスラーをもじった名前の漫画があったはずだ。

早速ネットで調べてみる。『CAN☆きゃんえぶりでぃ』(ひすゎし作)であった。主人公はたしか魔法の国出身の少女だったはずだ。魔法の師匠は"キッド先生"。ダイナマイト・キッドがモデルだ。高校を舞台とした学園ものだったかと思う。主人公、きゃんは同級生の少年の家に居候。少年の父親の名は"ハルク・トーサン"。愛妻とは死別しているという設定だったが、入浴中のきゃんを覗き見しようとするなどとんでもない行動に出ることもあった。同級生には長髪の"吉田君"もいた。そして体育教師が"藤波先生"。いきなりボディアタックを仕掛けてくる、これまたとんでもない教師だった。折りしも新日本プロレスのリング上では、藤波と長州が抗争していた時期である。 かの鳥山明のアシスタントを務めたことがあるという作者は、現在は岐阜県内の短大の美術科で教鞭を執っているという。

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(494) 読書感想文にはプロレス関連本を

「泣けるプロレス」を平積みで宣伝していた上野のTSUTAYAは偉い
本年2月19日(月)付の『日刊ゲンダイ』(17日発行)には、プロレス関連本5冊を紹介する書評欄が載っている。うち2冊は、20年以上も前に行なわれた「高田延彦×ヒクソン・グレイシー」に関するもの。『プライド』(金子 達仁著 幻冬舎刊)および『プロレスが死んだ日。』(近藤 隆夫著 集英社インターナショナル刊)である。前者はプロレスラー、団体経営者として岐路に立たされた高田が密かに引退を考え、関係者に「ヒクソン・グレイシーかマイク・タイソンと戦ってから引退したい」という胸の内を明かし、後日ヒクソン・グレイシーとの面会予定のあったその関係者が高田に戦う意思を確認したうえで実現に対戦を実現させた軌跡を描いたノンフィクションであるとのこと。

後者は、実際に両者の対戦が公式発表された後のプロレス界の反応、とりわけ当時プロレス界のトップであった高田が敗れたらファンが総合格闘技に流れてしまうという危惧や、会場に足を運ぶファンの心理等を描いたものらしい。とりわけ「ファンの心理」については興味深く、「プロレスの強さを見たい」という思いと「プロレスの最期を見届けたい」という思いに二分されていたと著者は分析しているのだとか。

『新編 泣けるプロレス』(瑞 佐富郎著 スタンダーズ・プレス刊)は、全28話収録のプロレス本とのこと。かつて総合格闘技への転向の可能性を問われた鈴木健三(当時)が「総合格闘技は強者を称えるスポーツ。プロレスは弱者を勇気づけるジャンルだから」とその可能性を否定したという逸話は、非常に興味深い。たしかに力道山が活躍した黎明期から、プロレスは弱者(敗戦国・日本)を勇気づけるジャンルだったといえる。

ほかには格闘家の半生記『U.W.F.外伝』(平 直行著 双葉社刊)、崩壊の危機にあった新日本プロレスを救った、ふたりのスーパースターを取り上げた『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(柳澤 健著 文藝春秋刊)が紹介されている。

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(493) なつかしのドキュメンタリー番組

桜庭で最初に思い出してしまうのは、秋山のクリーム問題
遡ること四半世紀。平成5年のある日曜日の昼間に見た、プロレス関連のドキュメンタリー番組。また見たいと望んでいたら、ニコニコ動画で配信されていた。当時1時間枠で放映されたその番組は、まずは新日本プロレスの道場を取材するところから始まる。当時まだ32歳だった馳浩や28歳の橋本真也、入門2年目の高岩竜一らが登場する。そして入門2週間目で練習メニューについていけない安田忠夫も。この年に廃業したらしいのだが、大相撲時代には曙にも勝ったことがあるとのことで、プロレス界でも相当期待されていたと察せられる。橋本の蹴り技や馳の投げ技を測るテストも行なわれていた。むち打ち症だけで済めばまだ運がいいというところか。続いて栗栖正伸を取材。悪役というよりも脇役だったという印象が強いが、一連の発言からはプロレス愛が感じられる。「練習が嫌いではダメだ」「何でも基本ができていなければダメだ」等々、至極当然のことなのだが、実は練習好きで己にも厳しい人なのだ。そういえばプロレス界の"アニキ"金本浩二は栗栖ジムの出身だったはずだ。

番組ではさらに女子プロレスの取材へ。入門から3年も経たない頃の渡辺真美(後のチャパリータASARI)および長谷川智香子(後の白鳥智香子=タイガースマスク夫人)が忙しく会場内を走り回る映像なども見られた。そして愚乱・浪花の取材。デビュー戦は大阪での獅龍戦だったが、両親が栃木からこっそり応援に駆けつける映像があった。今思えば、メジャー団体でも試合のできた職人肌のレスラーだった。

トリは高田延彦。当時のプロレスリング世界ヘビー級王者だ。高田そのものよりも、スパーリングで苦悶の表情を浮かべる桜庭の方が気になったのは、その後のプロレス界の流れを知っているからか。

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(492) 横綱ではなく、横網の名物

問題ありありの大相撲、北尾がかわいく思えてくる
出所は忘れたが、最近ある週刊誌にて両国国技館の地下に焼き鳥工場があることを知った。なんでもの2本の足で地に立つニワトリは、相撲の世界では縁起物であるという。東京駅をはじめとする都内のいくつかの駅でも購入可能とのことだったので、都内で私用を済ませた後に買うことにした。土曜日の夕刻の東京駅内の「祭」という駅弁屋。もしや売切れ御免ではないかとあまり期待せずに行ってみたところ、店の中央部にて山積みになっていた。そこに店員が営々と補充している。よく売れるらしい。また大量生産であるらしい。

実は国技館の食べ物にはあまり印象がない。中学一年の夏休みのこと。父親に連れられて旧蔵前国技館にプロレス観戦に行った。タイガーマスクがメキシコ人レスラー・スコーピオを相手に猛虎原爆固めを初披露し、藤波辰巳(当時)が保持していたWWFジュニア王座を防衛し、坂口征二がアブドーラ・ザ・ブッチャーを角材で殴り、アントニオ猪木がマスクド・スーパースターを原爆固めでマットに沈めた日だ。その時に場内で買ったトンカツ弁当があまり旨くなかったという記憶がある。しかし名物というのであれば、試してみる価値はある。なじみの立ち飲み屋の店主の分も含め、多めに購入した。

内容は、正肉3本とつくね2本で日一箱650円なり。味付けはタレだが、もう少し濃くてもいい(あくまでも個人の好み)。結論としては旨かった。しかしご丁寧におてふきを付けてくれるのはいいが、どうせなら七味も付けてほしいものだ。

久々に、今回の宿題:再会したい人物は?

回答:中学時代、市内の体育館へプロレス観戦に行き、花道でタイガーマスクの登場を待っていた時のこと。我々少年ファンを思いっきり突き飛ばしてくれた若手レスラーがいた。今思えばそもそも誰だったのか。

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(491) プロレスはじめて物語(入場テーマ曲、覆面レスラーetc.)

マイティ・ソーで移民の歌が使われていた。この曲でブロディを思い出す人はどれくらいいる?
最近書店に寄ったら、国際プロレスに関する本が2種類平積みにされていた。いずれも辰巳出版刊のもので、ひとつはムック、もうひとつは600頁以上もある分厚い本。力道山亡き後の日本プロレスに対抗するべく興された団体の設立は、1996年。言うまでもなく、新日本プロレスや全日本プロレスよりも古い。後進の2団体に遅れを取ってしまったのは、単に日本プロレスにおいて一時代を築いたBI砲の存在がなかったからだろうか。モンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)、リック・フレアー、ダイナマイト・キッド等々、初来日で国際プロレスに参戦した外国人レスラーは少なくない。また各選手に入場テーマ曲をあてがうというのも、日本では国際プロレスが最初だった。そのアイディアは、欧州遠征から帰国したマイティ井上が西ドイツから輸入したものだが、今ではテーマ曲のない入場シーンなど考えられない。そういえばデスマッチも国際プロレスの"名物"だった。皮肉にも、流血必至のデスマッチがテレビ受けしなかったとも考えられるが。

『実録・国際プロレス』(分厚い方)は、まずストロング小林(おのずと知れた日本人最初の覆面レスラー)のインタビューから始まっている。ラッシャー木村と並ぶ看板選手だったことはよく知られている。さらにはマイティ井上のインタビューも。頑なに新日本への参戦を拒否し続けたが、本人曰く「猪木さんは悪い人」と若い頃から洗脳されていたのが原因らしい。しかし相手の技を受け入れる猪木、藤波の技量は認めていたようだ。 国際プロレスが崩壊した1981年(昭和57)といえば、タイガーマスクが彗星のごとく現れた年でもあり、世間のプロレスに対する印象も変わりつつあった時代であった。力強くとも技は少なめ。どこか鈍臭く映ってしまったのだろうか。

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(490) 肘打ちは年金よりも重要か?

偶数月の15日はスーパーが混雑する。庶民の年金生活を見よ
相変わらずメディアは相撲関連の報道でかまびすしい。おかげさまで森友・加計学園、与党議員による議員年金復活の泣訴(老齢基礎年金だけでは生活できないだと? だったら民のために何とかしてほしいものだ)等々、より重要性の高いと思われる社会問題は掠れてしまっている感がある。たしかに横綱の品格が重要でないとは言わないし、遠藤戦で見せた白鵬のかちあげが品性を疑うものだという議論もありだが。それにしても反則ではないと常に前置きしつつ、何度となくかの映像を見せつけるマスコミ関係者の品格はどこへやら(どうしてくれるんだ、民の年金は?)。

本日(17日)昼に放映された『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系列)では司会のビートたけしが、「肘の中に鋼鉄が入っているんだ」などと言って笑いを取っていた。そういえばかつて7回もNWA世界ヘビー級王座に輝いた"美獣"ハーリー・レイスには、そのような噂があった。中学生の頃、プロレスファン同士で問題を出し合ったのを覚えている。「肘に鉄パイプを埋め込んでいるレスラーは?」とか、「人間発電所と呼ばれたレスラーは?」とか。 そのうち相撲ファンの間でもそのような問題を出し合うのだろうか。「エルボースマッシュを得意とした横綱は?」とか、「ちゃんこがまずいと言って部屋を飛び出した横綱は?」(この頃から横綱の品格が問われるようになったらしい)とか・・・・。

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(489) 仮面貴族と狂虎と前座の力道山とでは誰が好き?

「プロレステーマ曲集」発売40周年のCD化で大ヒット中らしい。ジャケはミルマスカラスとジャンボ鶴田
何度も言うようにマスカラスは裏表が激しいらしいが、世間では表の顔(イメージ)が先行してしまうのだから始末が悪い。イメージといえば、俳優の大地康雄はその昔、現実に起こった深川通り魔事件に取材したドラマに犯人役として主演し、あまりにもうまく演技してしまったためにその後仕事が来なくなったらしい。先日Youtubeで配信されているそのドラマを見たところ、その「怪演」ぶりに驚愕せざるをえなかった。あれではほかの役は務まりそうもない。実際には計算高いマスカラスが優等生と見られ、実際には紳士であるタイガー・ジェット・シンは根っからの悪人のように思われてしまう。リング上での役作りとはいえ、イメージとは怖いものだ。

先月ドン荒川が亡くなったそうだ。いまでこそお笑い系のレスラーも少なくないが、ストロングスタイルが中心だったかつての新日本プロレスにおいて、ひょうきんなプロレスを行なっていたのはすばらしいこと。れっきとしたレスリング経験者であるし、原爆固めのような高度な技も使えた。また昭和プロレスの‘顔’のひとつが逝ってしまった。

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(488) 墨田区にいらっしゃい

楽天地周辺にはその方面の人が多いよ
この夏、ターザン後藤が長寿番組『新婚さんいらっしゃい』(テレビ朝日系列)に出演していたことを知り、早速Youtubeにて動画を探して視聴した。自薦で出演を希望したとのことだが、再婚のお相手は墨田区内のラーメン店の娘で後藤より3歳年下。後藤自身が営むスナックに近いことから、当初は客として来店。ところがあまたのデスマッチをこなしてきた額は傷だらけ。そして本来は強面ではないのだが、サングラスをかけているために表情が伺えないことから"その方面の人"と思われてしまう。結果他の客に見られないように奥の座敷に通されたり、早く退散してもらいたいとの願いからワンタンの入らないワンタンメンやレバーの入らないレバニラ炒めを出されてしまう。

そのうち他の客からプロレスラーであると知らされ、話をするようになったそうだ。偶然にも誕生日が同じ(8月16日。つまるところマドンナ、菅原文太、金山一彦、西田ひかる、大沢あかね、ダルビッシュ有とも同じである)。一学年だけではあるが、静岡県島田市内の同じ小学校に同時期に在校してい たことがあるなど、"運命"を感じさせるものがあったのだろう。現在はスナック経営を続けながら、 ラーメン店でも"修行中"であるとのことだ。

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(487) プロレス界に転職?

出直しの定番はプロレスとヌード
機会があり、初めてキリンビール横浜工場を見学した。ビール醸造の手法・工程、缶詰の工程、箱詰から出荷に到るまでの流れを映像等を用いて丁寧に1時間ほど説明を受けた後、一番絞りはじめ3杯まで試飲できる。粗末にしてはならない。味わって飲まなければ……。 改めてビールの近代史を紐解いてみると、前回の稿におけるいくつかの誤りに気づいた。まずいわゆる"ドライ戦争"は短い期間で終わっていたこと。最後に笑ったのはいうまでもなく、落合信彦のアサヒ。マイク・タイソンのサントリー、広岡達朗のサッポロ(そういえば新幹線の中で、小指を立てて缶を持つキザったらしい画があった)などは敗退。そしてつかこうへい(生涯ラガーしか飲まないとの宣言があったではないか)、大島渚、クロマティの諸氏が登場していたのは‘ドライ’ではなく、敗戦後原点に帰った‘ラガー’であった。その後キリンは1990(平成2)年に一番絞りを販売開始している。

酒は飲むものであって、飲まれるものではない。あいかわらず日馬富士と貴ノ岩との酒場における"抗争"がメディアを賑わせている。不謹慎かもしれないが、転がり込んできたネタを連日にわたって使い回せるマスコミ関係者たちは内心ほくそ笑んでいるのではなかろうか。森友・加計問題はいずこへと言いたい。日馬富士が廃業後にプロレス転向を期待する声もあるようだが、ありえそうもない。かの高須院長は、過去にプロレス転向した横綱はそもそもプロレス向きではないが(北尾、曙を否定するのか?)、日馬富士はプロレス向きの体型とも述べている。しかしもともと日本に「長居」する考えはないようだし、国に帰れば政治・経済の分野で活躍できるとの算段があっても不自然ではなさそうだ。

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(486) 禁じられた飲酒

最近の組長は「すっぽん皇帝」
レスラーといえば酒豪ぞろいという想像ができるが、なぜに酒類のCMCMには出演しないのか。たとえばビールのCMでは、ドライ戦争の時代には当時国際ジャーナリストとして売れていた落合信彦(アサヒ)、劇作家のつかこうへい(アサヒ)、映画監督の大島渚(キリン)等々、主として文化人枠に入る面々が登場。スポーツ枠からの登場は、マイク・タイソン(サントリー)、クロマティ(キリン)だけだった。 ドライ戦争以前にサントリービールのCM出演していた椎名誠は、やはり文化人。サントリーの場合には、松田聖子の歌に合わせてアニメのペンギンが踊りだしてしまう始末。

なぜにレスラーが豪快に飲んでみせないのか。そういえば酒のCMには里見浩太朗のようなふだん飲まない、あるいは飲めない芸能人を起用することが多いが。ネットでしばらく調べていると、納得のいく回答が見つかった。「ふだんからよく飲む人=酒で失敗した経験が少なくない人→商品イメージが悪くなる可能性がある」ということだそうだ。

これまでにレスラーが出演してきたCMというと、ジャイアント馬場のヤマハのマイバンド(「僕にも弾けた」が印象強かったCM)、ジャイアントコーン、アントニオ猪木のリズムタッチ、タバスコ、ひまわりナッツ、上田馬之助のトライデント・シュガーレスガム、長州力のローリーエース(いつの間にか姿を消したヤクルトもどきの乳酸菌飲料。たしか雪印製だったのでは)等々、酒とは無縁である。 たしかにアントニオ猪木のタバスコのCMには小道具としてビンビールが使われているが、飲む場面はない。

それから忘れてはならないのは、その昔藤原喜明が出演していたニュータッチのカップ麺のCM。幼稚園児に扮した組長が「今日の遊戯はハードだったなあ」と帰宅し、「白菜村のキムチラーメン」なる商品を手に取る。次いで「冷たいビールに合うんだよな」と冷蔵庫からビンビールを取り出すと、「よしあきー!」と背後から母親に引っ叩かれてしまう。CMの世界では、レスラーは飲ませてもらえないことになっているらしい。

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(485) 七度目の引退と四つのお願い

「喝采」というわけにもいかないし
還暦を迎えた大仁田厚が引退した。七度目というが、小生にとっては、正式な引退としてはせいぜい三度目という認識がある。最初の全日本プロレス引退、FMW時の引退、そして今回の引退。残りは捨て台詞として「あばよ!」とか「またな!」とか言ったのが引退宣言として計上されてしまったふしがある。いずれにせよ、やり方はともかく長年プロレス界を賑わせたレスラーがマットから去るというのだから、正直寂しい気がする。今回の引退セレモニーでは母親、大学教授である異父弟、代議士の原口氏らも会場に駆けつけたという。撤回はないと思われるが、かりにまた復帰したとしても、もはや「嘘つき」呼ばわりされることはなさそうだ。

邪道であるか否かはともかく、全日時代の故障のために普通のプロレスができなくなってしまった男が、マット界に残した足跡はやはり大きい。思えばロープの代わりに有刺鉄線を使うことを考案したのも彼だった。一説によると金網を買うだけの軍資金がなかったからだそうだが、団体運営が軌道に乗ってからもとことん「破天荒」を追い求めた。まさに"ワイルドシング"であった。 長い間ご苦労様でした。

今回のおまけ:最近知ったこと

レスラーが各々のテーマ曲に載って登場するのは、ある意味最も華々しい場面といえる。ところで日本で初めてテーマ曲を使ったのは、かつての国際プロレスだとか。海外ではすでに慣習化されており、欧州遠征から帰国したマイティ井上が団体に提案したそうだ。ちなみにマイティ井上の欧州での入場テーマ曲は、ちあきなおみの『四つのお願い』だったとか。Youtubeで視聴してみたのだが、なんか合わないんだよな。

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(484) 地球の裏側の思い出

千葉のモノレールは第三セクターの失敗作
最近、東京・後楽園ホールにて御年75歳のミル・マスカラスが宙を舞った日に、場所を違えて千葉県内のモノレール駅のホーム上ではささやかなプロレス興行があった。千葉駅からの貸切列車内で音楽演奏などを楽しんだ留学生を含む参加者たちは、終着駅でプロレス団体DDTによるタッグマッチ2試合を観戦したとのことだ。さすがに駅のホーム上にリングを組むことはできず、マットを敷いただけのようだが、それでも"リングサイド"での観戦は格別なものだったようだ。

駅の構内におけるプロレスと聞き、過去の光景が脳裏に蘇った。その昔メキシコを旅したときのこと。アレナ・メヒコでのルチャ・リブレ観戦を終えた後、最寄の地下鉄駅に行くと、数人の若者が駅の構内でプロレスごっこに興じていた。各々が試合会場内外で売られている覆面を被り、「じゃれ合って」いた。集団の中には女性もいて、傍らでキャーキャー歓声を上げている。中学生時代の学校の芝生におけるプロレスごっこを想起し、思わず笑みをこぼしてしまった。階下のホームへ降りるとまさに地下鉄が扉を閉め、発車しようとしていた。それほど遅い時刻でもなかったので、後発の列車を待とうとベンチに腰を下ろすと、先の集団のひとりが覆面姿で駆けてくる。結局面前で扉が閉まると、"Oh! No!"と扉を叩きながら悔しそうなフリ。背後で笑う仲間たち。「覆面レスラー」が扉を叩くのを見て、車中の乗客たちは何を思ったか。 かの地で学んだこと。人生は楽しむためにある。

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(483) 多彩な時代のハロルド坂田

カタカナにするだけで国際派になれる気がする
決して"ハルキスト"の範疇に収まるような熱心な読者ではないが、今年もまたノーベル文学賞の受賞を逃し、やはり同じ日本人としては悔しいという思いは否定できない。米国の翌年は日本という流れなどむろんないのだが、20数年前には米女流作家が受賞した翌年に大江健三郎が受賞しているので、もしやという期待はあった。

日系英国人のカズオ・イシグロの受賞が発表されたとき、「その手があったのか!」と思ったほどだ。個人的には嫌いな作家ではないし、日系人ということでそれなりの嬉しさはある。しかし感想は異なる。例えて言うなら、かつて007シリーズにおいて、日系人レスラーのハロルド坂田が敵役として出演したとき、喜ばしく感じた映画ファンもいただろう。しかしその後の作品において丹波哲郎が脇役として出演したときの方が、格段に喜ばしかったに相違ない(しかも敵役ではなく、ジェームス・ボンドの味方だ)。

ハロルド坂田といえば、ひと昔前に日韓共同で製作された映画『力道山』においては武藤敬司がその役を演じていた。韓国の俳優が演ずる‘スモウ・レスラー’力道山に「プロレスを教えてやる」などと言い、サイドスープレックス、高角度ドロップキック、コブラツイスト、ナガタロック、ウェスタン・ラリアート等々、当時のプロレスでは使われていなかったであろう、またハロルド坂田本人が実際には使わなかったであろう技を次々と仕掛けていく。武藤が器用なレスラーであることは言うまでもなく、映像としてはすばらしかったが、何とも不自然な演出であった。

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(482) 脱ぐのも芸?

ローライズ芸というのはどうだろう
下ネタで恐縮である。最近トレイで局部を隠しつつ、巧みにステージ上を動き回る芸人がいるが、いつまで笑いを取り続けられるのだろうか。そんな彼の芸を見ながらふと思ったのは、相撲のまわし。外れたら負けだと聞いたことがあるが、事例もある。2000(平成13)年5月のこと、三段目の取組で事件は起こった。幸いテレビには映らなかったようだが、文字通りの「チン事」は世界中に知られることになったらしい。当時のスポーツ紙には「見えた。モロ出し」などという見出しもあったそうだ。ちなみにこのような「チン事」は83年ぶりだったそうで、その前に起こったのは大正6年のことだったそうだ。

プロレス界においては、かつてディック・マードックが容易にタイツがずり落ちるようにしていたのが有名だ。場外乱闘の後にリングに戻ろうとし、相手レスラーが引きずりおろそうとすると半ケツ状態になることがたびたびあった。リッキー・フジはよりタチが悪かった。半ケツになっているのを気づかないフリをして、相手レスラーの顔面にヒップアタックを敢行していた。

ところでプロレスの場合は、脱がせた方が反則を取られるというのがルールらしい。その昔『プロレス入門』(小学館)で読んだのだが、"マットの魔術師"と呼ばれたエドワード・カーペンティアが勢いあまって相手のタイツを脱がせてしまい、反則負けになったことがあるという。

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(481) カジノはいらない

ギャンブル依存症は病気であり周囲を巻き込む
大鵬の孫で元関脇・貴闘力の長男である納屋幸男が、後楽園ホールにてプロレスデビュー戦を飾った前日の東京新聞朝刊(9月13日付)にて、ギャンブルの怖さについて語っていた。貴闘力によると、カジノの温度が低めに設定されているのは、眠くならないようにするためだとか。そして光や音で人々を魅了し、抜け出し難くしている。依存症にまでなったが、現在は立ち直り、焼肉店等の飲食店(国内3店舗、海外1店舗)の経営者として活躍している。日本国内におけるカジノ建設には断固反対する立場。たしかにカジノで観光客を呼び寄せようなど、ろくな考えではない。その昔カンボジアの首都、プノンペンへ行った時、カジノ(おそらく後年、安田忠夫が短期間勤務したところだと思われる)があることを知った。建設費用は先進国からのODAから出ていると帰国後に聞き愕然とした。国は異なっても、政府高官というものはそんなものなのか。

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